2016年11月01日

日本長生医学会旭川支部 11月定例研究会のご案内


■日時:11月3日(文化の日)15:00〜17:00
■会場:旭川市4条通16丁目「大村長生館」駐車場有
  “鈴木セミナー Part2”
講師: 鈴 木 英 一  先生
皆様のご要望に応え、鈴木セミナーPart2を開催します。
鈴木先生の横軸への間接的なアプローチは、目から鱗、実践的と大好評でした。
今回は“頭蓋骨への働きかけ”を中心とした鈴木ワールドです♪

セミナー終了後、忘年会を開催します。
■忘年会 会場「にく焼 彦八」旭川市3条通16丁目
ニッケンハイツビル1F 
会費 5,000円

忘年会にご参加いただける先生は、11月1日までに
TEL0166(23)0818
FAX0166(23)9827
メールtulip@muh,biglobe,ne,jp
のいずれかで、大村までご連絡下さい。
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2016年10月29日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉜〜


正月三が日にも関わらず駆けつけてくれたのは、名寄市風連国民健康保険診療所の内科医松本晋一郎先生と看護師さんでした。赤ひげ大賞の松田所長と共に、道北にある厳寒の盆地で、地域医療を年中無休体制で担う若きドクターとベテランナースです。

ドクターが到着した時、母の容態は落ち着き、穏やかな寝息を立てていました。

「今夜がヤマだと思います。今夜は泊まって付き添われた方がいいですね。何かあったら遠慮なく呼んでください」」母を診察した松本先生がそう言い残し、雪の中を帰りました。

その言葉に従い、妹は夜に備え入浴と仮眠をとりに自宅に戻りました。
父親は除雪のため外に出ています。

思いがけず、母と二人きりの時間が訪れました。
母のベッドの隣に体を横たえ目を閉じてみました。
物心がつくまで母と一緒に寝ていたはずですが、母の隣に寝るのは・・・いったい何十年振りでしょう。

そこには信じられないくらい穏やかな時間が静かに流れていました。

ふと視線に気付き目をあけると、いつのまにか目覚めた母が私を見つめています。
それから宙を見つめるような視線に変わりました。少し驚いたような顔ですが、それは恐れや混乱ではなく、畏敬の念で何かを見ているかのような表情です。

しかし私には、母の視線の先に何もとらえることは出来ませんでした。

古来より人生の最後に来ると言い伝えられる「お迎え」という文字が頭をよぎりました。
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2016年10月17日

休診のお知らせ


10月22日(土曜日)は、日本統合医療学会北海道支部会出席のため、
休 診させていただきます。

IMJ北海道支部会のタイムテーブルは下記の通りです。
参加費は1,500円。事前予約は不要です。
長生医学会の先生はふるってお越し下さい。

 第18回 日本統合医療学会(IMJ)北海道支部会

日  時:平成28年10月22日(土) 14時〜18時15分
会  場:藤女子大学 7階 大講義室
※この講座は北海道医師会の承認を得て「北海道医師会認定生涯教育講座3単位」として開催されます

■開会挨拶  (14:00〜14:10)
   日本統合医療学会理事長 仁田 新一先生

■総  会 (14:10〜14:20)

■特別講演1 (14:20〜14:50)  座長 響きの杜クリニック 院長  西谷 雅史 先生

「オゾン療法〜その適応症と微量オゾンの作用メカニズム〜」 
  北海道大学 名誉教授  三浦 敏明 先生

■特別講演2(14:50〜16:00)

「オープンデータを活用した食習慣と健康の関係〜健やかな体を作る食事の仕方教えます〜」
北海道科学技術総合振興センター 工学博士  北野 邦尋 先生

■一般演題(16:10〜17:10) 座長 社会医療法人北楡会札幌北楡病院消化器科  片桐 雅樹 先生

■ワールドカフェ(17:10〜18:10)
  テーマ:北海道の統合医療の可能性

■閉会挨拶  (18:10〜18:15)
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2016年10月15日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉛〜


吹雪の中を、ドクターとナースが駆けつけてくれました。

母が望んでやまない「在宅療養」を可能にしてくれたのは、この“名寄市風連国民健康保険診療所”のドクターとナースの理解と助力があったからです。

“名寄市風連国民健康保険診療所”は、強化型在宅療養支援診療所の指定を受け、さらに、地域包括医療・ケア施設に認定され、外来診療と往診に加え、24時間対応の在宅医療、終末期の在宅緩和ケアといった、現代医療の課題に果敢に取り組んでいる診療所です。

所長の松田好人先生は、平成24年に「第1回赤ひげ大賞」を受賞されたドクターです。

「赤ひげ大賞」は、病気を診るだけではなく、地域に根付き、地域のかかりつけ医として、誕生から看取りまで、さまざまな場面で住民の疾病予防や健康の保持増進に努めている医師を顕彰すべく、日本医師会により創設された賞ですが、その名の通り、病人や家族と十分なコミュニケーションを取り、病人を病気として扱うのではなく、人間として尊厳を尊ぶ、全人的な取り組みは、本年3月にBS-TBS「ヒポクラテスの誓い」でも紹介され、クライアントの家族として妹も取材を受けています。

暮れも押し迫った12月28日、往診してくれたのは松田医師でした。

「寝ているうちに呼吸していないこともあり、厳しい状況になっています」松田医師の現状説明に対し、妹が答えました
「そんな穏やかな最後なら最高です」
松田医師は、優しくうん、うんとうなずいてくれたそうです。

また、妹が「水分しか欲しがらないので固形物は摂っていません」と報告すると、「食べなくてもいいです。自然のままで。無理するとかえって負担になります。そのほうがいいです」と同調し、「苦痛がみられたら、ご連絡下さい。速やかに対応します」と答えてくれたそうです。

そうした松田所長の姿勢に、母と妹は全幅の信頼を寄せていました。
どうやら、妹が看護師として問い続けていた、苦痛をもたらす延命治療が患者さんにとって幸せなのかという疑問や、看護職のキャリアを通し芽生えた、終末医療におけるケアリングのあり方を、明確に示し体現しているのが松田医師だったようです。

40年、病と闘い続けた母でしたが、今まで母を担当してくれた医師たちへの不満を聞いたことがありません。「皆、優しい先生だったよ♪」と。

最後の最後まで良い主治医に恵まれて、幸せだったね お母さん。
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2016年10月08日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉚〜


測定できないほど血圧が下がり、発声に必要な筋肉すら動かす力のない母が、プラーナ療法を行う私に、言葉を発しました。

「もういいよ ありがとう」

義父と同じだ・・・
3か月前、病院で義父に付き添っていた記憶がオーバーラップしました。

義父は、入院する前日まで食欲も旺盛でしたが、朝、急に血圧が低下し意識不明となり、病院に搬送したところ、医師から、「老衰による心不全で肺水腫を起こしております。長くて2日の命です」と宣告されました。

そのまま病院で家族会議を開き、延命治療を断り、薬も栄養も断ち、自然の摂理に従い、出来限り苦痛のない最後を迎えさせてあげようと決め、家族の意向を医師に伝えました。医師も苦痛緩和だけに最善を尽くすと約束してくれました。

その日から、出来る限り家族が交代で父に付き添えるよう力を合わせました。
私は休日前の夜の受け持ちですが、プラーナ療法だけは、仕事が終わってから毎日、病院へ通い実施していました。

私が付き添っていた夜半、急に苦しそうな呼吸になったので、胸にプラーナを送りました。
10分ほど手をかざし、呼吸が落ち着いてきた・・・と、その時です。

「もういいよ ありがとう」
入院以来、一度も声を発しなかった義父の声が、頭の中に聞こえたのです。
それから義父の手が動き、胸にかざしている私の手をそっと押し戻しました。

昏睡状態が続き、寝返りどころか、自力で手を動かすことすらなかった義父が・・それは私の想像を超えた出来事でした。

義父の魂が「もうすぐ還るから、生命エネルギーはいらない。もう治療しなくていいよ」という意思を示したような気がし、その日を境に治療を止めました。

義父が呼吸を止めたのは、その2日後でした。
医師から2日と宣告された余命でしたが、2週間呼吸を続けてくれました。
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2016年10月01日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉙〜


「お母さんの魂が“そろそろ還る”って言ってる。だからもう長くないと思うよ」
「不謹慎だけど、葬儀のことも考えておいたほうが良いと思う」

リビングで昼食を取りながら、父とそんな会話をしていた時、妹が母の呼吸が乱れていることに気づきました。

今までになく苦しそうな呼吸です。
往診のドクターに連絡を取り、旭川の弟にも連絡するよう伝えました。

妹が連絡を取っている間、私は母の胸にプラーナを送り続けました。
次第に呼吸が落ち着きついてきた・・・と、その時です

「もういい・・ありがとう」
母の声です。

血圧が下がり、声を出す力すらないはずの母が・・・
「もういいよ」と、もう一度声を発したのです。
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2016年09月22日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉘〜


「お母さんしばらく何も食べてないけど、何か食べさせなくて大丈夫なのか?」
安らかな寝息を立てはじめた母を見て父が心配しています。

「おかあさんは、生命エネルギーがもう残り少ない状態なんだ。無理に食べ物を取らせると、それを処理するためにエネルギーを使ってしまうから、余計に体がしんどくなる。だから栄養はもう取らせない方が安らかに逝けるはず。点滴もしないで、このまま自然に任せたほうがいいと思う」

生物の起源は、およそ35億年前に海の中に誕生したアメーバのような単細胞生物でした。単細胞生物の頃は、ひとつの細胞で消化、吸収、排泄していました。それが多細胞生物に進化すると各々の細胞に栄養を送らなくてはいけなくなります。そのため最初に出来た器官が消化器系。つまり単細胞生物から背骨が出来、魚らしきものになるまでの30億年、人間の祖先は、生命を維持する「食べる」「排泄する」といった、腸の機能がほとんどだったと考えられます。

人間の手足も、多様な内臓や高度な脳も、元をただせば腸から進化したもの。腸から進化した人間にとって、根源的な身体の源ともいえる腸が食物を拒否しているのです。その意思に従い、無理な栄養はやめ、穏やかな最後を迎えさせてあげるのが自然の摂理だと思いました。

統合医療を日本に普及させた、東大医学部名誉教授 渥美和彦博士は「最後は、食べ物を断ち、木が枯れるように逝くのが理想。私はそんな最後を迎えたい」と話してくれたことがあります。

事実、知人の看護師さんの施設では、そうしたターミナルケアを行い、穏やかで苦痛のない最後を迎えさせることに成功しているそうです。

古代より宇宙を内蔵し宇宙のリズムと共振していたであろう腸が、「そろそろ還ろう」という魂の呼びかけに応じ、母の現世での肉体のスイッチを切ろうとしていました。

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2016年09月10日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉗〜


1月3日朝、母はうっすら目を開けて私を迎えてくれましたが、会話はほぼ出来ません。
何か言いたいようですが声が出せません。

「手を握って」
元旦には、手を差し出すと弱々しく握り返してくれましたが、今日は握り返す力がありません。

「チャクラスプレッド」で母のプラーナに介入すると、安らかな寝息を立て始めました。

ただ心配しながら見ているだけでなく、臨終間際でもあっても、こうして手をかけてあげることが出来るのは本当に幸せな仕事だとつくづく思います。

こうした実践を積み重ねることにより、私は母の死後も、少なくともグリーフワークの@〜Hの段階、パニックや抑鬱を踏むことはありませんでした。

ターミナルケアにおけるプラーナ療法は患者さんだけでなく、術者である私の悲嘆や混乱、大切な人を失うという喪失感すら乗り越えることの出来る魂のスキルだと改めて感じました。
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2016年09月03日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉖〜


血圧計での測定不可
経口摂取不可

1月3日朝、妹がLINEで送ってくれた母のバイタルを見て、最期の時が目前であることが理解出来ました。

取るものも取り敢えず車に乗り込みました。
コーヒーを買うため立ち寄ったコンビニに置いてあるバナナを見て、子供時代の記憶がよみがえりました。

当時は贅沢品だったバナナを食べる私たちの傍には、3人の子供を見ながら微笑んでいる母がいました。それが体に鞭打ち働いた母の収入から、自分が自由に出来るわずかなお金の使い道だったのです。

我が家ではご馳走の鉄板焼きが食卓に上る時、いつも焼き方に徹している母がいました。
「お母さんは食べないの?」と聞くと「あまりお腹がすいてないの。いいから食べなさい」
自分は食べなくても、子供や他人に食べさせるが母の常でした。

夕食の後志始末を終え、ようやく腰を下ろした母に聞いたことがあります。
「お母さんの夢はなに?」

「そうだね・・ゆ〜〜っくり寝たいだけ寝てみたい(笑)」
朝早くから夜遅くまで働きずめに働き続けた母の望みが、まもなくかなえられようとしています。
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2016年08月27日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉕〜


2016年1月2日
妹から報告のあった母のバイタルです。
血圧65/51
脈118
呼吸 15回
体温 36,8度

呼びかけても目覚めず、体をゆすると目を開くそうですが返答はなく、経口摂取は数回のみとのこと。

深い眠りで、苦痛は訴えないそうです。

1月3日
早朝、母のバイタルが送られてきました。
熱36,6度
呼吸12
脈120
血圧 血圧計での測定不可
経口摂取不可

どうやら最後の時が迫っているようです。

急いで名寄に向け車を走らせました。
正月休み最後の日でした。
posted by かず at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする