2017年02月23日

日本長生医学会旭川支部 市民公開講座のご案内

市民公開講座「健康は情報で決まる」
〜ヘルスリテラシーを高める方法〜

■講師:TMSジャパン代表 長谷川淳史 先生
■日時:2月26日(日曜日)14:00〜16:30 
■会場:旭川市5条4丁目「旭川市ときわ市民ホール」研修室101

溢れかえる誤った医学・健康情報に振り回されないため
「情報を見極め、有効活用する能力」を身につけるための講座です。
市民公開講座として一般の方にも開放します。
ご家族、患者さん、お誘いあわせのうえお越し下さい。

■受講料:1000円

◇問い合わせ:大村長生館 TEL:0166(23)0818
Email:tulip@muh.biglobe.he.jp
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2017年02月18日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊷〜


Functional Assessment of Cancer Therapy-Spiritual(FACT-Sp)について読者の方からご質問をいただきました。

一言で言うと、死期の迫っているがん患者さんへのアンケートです。
例えば、人生で大切に思っていること。自分の果たした役割。自分が誇りに思うこと。などを患者さんに記述してもらい、生きる意味、平穏さ、信念など12項目にわたりチェックし、患者さんのスピリチュアリティを評価しようとするものです。

スピリチュアリティとは、単に健康や生活に直結したQOL、つまりWHOの定義する身体面、心理面、社会面だけでなく、生存の質や霊性など多次元的QOLを意味するものなので、客観的な評価には意見が分かれるようですが、こうした議論が活発になってきたことに、医療の本質が、単に病気を治すことだけでなく、病人の尊厳を尊ぶ全人的医療へと方向を変えつつあるのを感じます。しかし私の住む35万都市旭川市には、260の病院と診療所があり、およそ7,600の病床があるそうですが(日本医師会JMAPより 2016年10月現在の地域内医療機関情報の集計値)ホスピスの病床はまだ数えるほどしかなく、当院に通院される看護師さんの話では、大勢の患者さんがベッド待ちをしているのが現状のようです。

長生医学の目的は“霊肉救済”です。今回の経験を生かし、微力ですが、死に向き合う人や家族を失った悲しみに打ちひしがれたスピリチュアル・ペインを持つ人たちが、最後まで自分を失わずに穏やかな気持ちで生きていけるよう援助出来ればと思います。

母にFACT-Spを実施してもらえば、ターミナルケアにおける霊性の部分を客観的に評価出来たかもしれません。

しかし「私ほど幸せな人はいない」と言い残した母に、その必要はなかったと思います。
こうした病の危機的状況でも、自分と他者を肯定できている言葉なのですから。

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2017年02月11日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊶〜


甥は自他ともに認める“おばあちゃん子”です。

「おばあちゃんと一緒に住みたいから、おばあちゃんのいる名寄に転校させてほしい」と、小学校低学年で親元を離れる決意を本気で両親に訴えるほどでした。

そんな甥との何気ない会話を思い出しました。

甥「ねえ最強ってだれだろうね?やっぱりボブサップかな?」

私「そうだなぁ・・・おばあちゃんとボブ・サップ、どっちが強いと思う?」

甥「そりゃぁボブ・サップでしょ」

私「じゃぁ、ボブ・サップに、ボブさんあなたは明日死にますよ。って言ったら、ボブ・サップはどうすると思う」

甥「う〜ん・・・きっと、うお〜〜!!死にたくない!って大声で泣くと思う」

私「じゃ、おばあちゃんに、あなたは明日死にますよ。って言ったら?」

甥「あら・・・そうなの?仕方ないわねぇ。って言うかもね」(笑)

私「どっちが強いと思う?」

甥「おばちゃん♪」

私「本当の強さって、きっと力の強さじゃなくて、気持ちの強さなんじゃないかな」

Functional Assessment of Cancer Therapy-Spiritual(FACT-Sp)という、がん患者のスピリチュアリティを機能的に評価する調査によると、死を受容出来る人は、例え、身体的、心理的、社会的QOLが低くても、スピリチュアルな領域でのQOLが高いそうです。
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2017年02月04日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊵〜


母の死に接し、驚くほど悲しみも落胆もなく、むしろ満足している自分がいました。

母がステージWの膣癌と診断されてから、医療者である私たち兄妹が優先したのは、積極的ながん治療や延命処置ではありませんでした。苦痛の排除を最優先し、母が良い人生だった、生まれてきて良かったと思えるケアです。

そのために医療者として私たちのすべきことは、私たち自身が、死への恐怖をなくし、死は生と続いている自然な出来事なのだと気づくことでした。

こうした生と死の仕組みが本当だとすると、死に対する安心と勇気が生まれ、人生の捉え方が変わり、より前向きな人生を歩めそうな気がします。

自分という存在を考えると、生まれようと思って生まれでたわけでもなく、大きくなろうと思って育ったわけではなく、死のうと思って死ぬわけではありません。こうして生きているのは如来の力があるからと感謝し、執着せず、ゴチャゴチャ考えず、その日一日を明るく精一杯生きればよいのだと母のケアを通し実感することが出きた気がします。

そして最後の最後まで、私の持てる能力を出し尽くし母を施術出来ことは、治療者として何物にも代えがたい経験となりました。母のためのケアがそのまま自己成長の恵みだったのです。

如来は母は通し、治療師として私を成長させてくれたのかもしれません。

「患者を通じて、施術者自らも救われる」長生学園に入学してから36年をかけ、長生上人の言葉をようやく理解することが出来た気がします。
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2017年01月28日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊴〜


インド人にとってバイブルともいわれる“バガヴァッド・ギーター”の中にこんなことが書かれています。

「生まれたものは必ず死に、死んだ者は必ず生まれる」
「人が古くなった服から新しい服に着替えるように、魂も使い古した肉体を捨て去り、新しい肉体をまとっていく」
「魂は、生まれることも死ぬこともない」
「魂は、いかなる武器であろうと切り刻むことはできないし、火で焼くこともできない。水に溶けもせず風で枯れもしない」
「不変、不動、永遠の実在。肉体が壊されても魂が壊れることはない」

つまり私たちの本質は物質的な肉体でなく、非物質の魂である。そしてそれは肉体が死しても決してなくなることはないと何度も何度も説いているのです。

”母の本質は生きている”
母の死に接し、驚くほど悲しみも落胆もない自分がいました。
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2017年01月21日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊳〜


浄土真宗に「自然法爾」と言う、有名な4文字熟語があります。

自然は、(しぜん)ではなく(じねん)と読みます。
自然現象のことではなく、「人為的なものがない」あるいは「おのずからそのようになる」誤解を恐れずに言えば、人間の力を超えた力を意味するようです。

法爾(ほうに)は、耳なれない言葉ですが、然と同義語で、「法則どおりになる」という意味に捉えて良いと思います。

要するに、阿弥陀如来の他力は、目には見えませんが、アルキメデスの原理のように絶対的な法則として、人間の思惑を超えいつも機能していると言う、親鸞の造語のようです。

その力の前では、私たちの小ざかしい思惑など役にたたないと親鸞は言います。
この法則を忘れ、法則に抵抗し、ジタバタするから溺れ苦しむのだとしたら・・・
法則に従って生きれば、人生は溺れることもなく、悩むこともなく、苦しむこともなく、確かな方向へと進むことが出来るということのようです。

母親の自然の摂理に従がった死に立ち会い改めて思いました。こうして人間の力を超えた力や自然の法則に従っていれば、魂は苦しむことなく、確かな方向へと進むことが出来るのだと。

もし臨終が1日延びていたら、私たちが看取ることはかないませんでした。一家揃って、しかも母の望んでいた在宅で天寿を全うする姿に立ち会うことが出来たのは、やはり御仏の慈悲だったのかもしれません
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2017年01月14日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊲〜


医師が帰った後、看護師さんと妹の手で“エンゼルケア”と呼ばれる死後処置が施されました。

現代医学は“人の死”を「呼吸停止」「心臓停止」「瞳孔散大」の三兆候で定義します。

私たちは、生きている間中ずっと呼吸を続けています。
インド哲学には、私たちの根本的な個体原理を意味するアートマンという概念があります。アートマンとは元来“気息”を意味するものでした。それは生気や生命を意味するプラーナであり、哲学的には“霊魂”を意味する術語です。ヨーガなどでは人間の身体を“小宇宙”と捉えますが、それは“宇宙”の根本原理とされるブラフマンと“対”になるものです。

つまり呼吸とは、単なる酸素と二酸化炭素のガス交換ではないのかもしれません。呼吸を止めるということ“は宇宙と小宇宙とのエネルギーの交換”をやめ、肉体を残し魂だけが宇宙に還るという意味を持つのではないでしょうか。

心臓には左右2つずつ4つの部屋があり、右の部屋には静脈血、左の部屋には動脈血を湛えています。心臓の運動が全身の静脈血を右側に引き込む一方で、肺から左の部屋に来た動脈血を心臓が全身に送り出します。呼吸により体の外の酸素とエネルギーを充満させた動脈血が、身体の内側を隅々まで旅して再び心臓に帰ってくるのです。

つまり心臓は、自分の外と内のポジションを示す臓器でもあります。心臓が停止するということは、この世での自分の役割を果たし、現世でのポジションが必要なくなったことを意味するのかもしれません。

瞳孔散大は、医学的には脳幹の機能がストップしていることを意味します。しかし虹彩には、瞳孔を開く筋肉と閉じる筋肉があります。脳幹の機能が止まると両方の筋肉が弛緩するはずですが、なぜ開く方の筋肉だけが働くのでしょう?

臨死体験者の多くが「光の生命」、「崇高な光」との出会いを報告しています。
つまり臨死体験には、きわめて印象的な“光との出会い”が核になっていることが伺い知れます。光の正体は何か?生きている私たちに知るすべはありませんが・・・もしかすると、最期にこうした光と出会うために瞳孔が開くのかもしれない

・・そんなことを考えながら、母への最後のケアが終わるのを待ちました。
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2017年01月04日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊱〜

2016年1月3日
「午後5時46分 死亡を確認させていただきました」

正座した松本医師から、正式に母の死が告げられました。

享年八十三歳。

「お母さま良く頑張られたと思います。皆さんもよく尽くされていたと思います。これから病院に帰りスタッフと悲しみを共有したいと思います。何かあればお電話をいただければ力になります」

膣癌による多臓器不全でしたが、末期癌であるにも関わらず穏やかに天寿を全うした母を医師が称賛してくれました。

自宅で家族に見守られ、「私ほど幸せな人はいない」と言い残し、自然の摂理に従った穏やかな最期を迎えた母。その生涯を利他の精神で生きた母を私たちは誇りに思います。

昨日が1周忌でしたが、皆様のご厚情に厚く感謝申し上げます。

尚、新年のご挨拶は失礼させていただきます
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2016年12月26日

年末年始の診療日程


12月31日(土曜日)〜1月3日(火曜日)
まで 休 診 させていただきます。

尚、1月4日(水曜日)より平常通り診療致します。
皆様、良いお年をお迎えください。



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2016年12月21日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉟〜


呼吸が停止していること、まばたきをしていないことを見届け、母の瞼を下げました。

人間は、誕生の時「おぎゃー」と“息を吐き”、最期は “息を吸い”この世を去ると聞いたことがあります。母の臨終を見届け”息を引き取る“という言葉が腑に落ちました。

点滴をしていなかったので、傷一つないきれいな肌にはむくみもありません。その顔はかつて見たことがないほど尊厳に満ち崇高さを湛えていました。

「お母さん、よく頑張ったね」
「楽になったねぇ」
「立派だったよ」
「長い間、本当にご苦労様でした」
「美智子ありがとう お前はよく働いてくれたなぁ」
「おばちゃん、ありがとう ありがとう」

目を閉じ呼吸を止めた母に話しかけていると自然に涙が流れました。
しかしそれは悲しみや喪失感の涙ではなく、母の人生に敬意をはらい、労わりと感謝の気持ちが具現化された涙でした。

呼吸が止まっても、人の耳は聞こえていると聞いたことがあります。
知人はマラソン大会で倒れた時、心停止・呼吸停止を来たしたことがあるそうです。体を動かすことは出来なかったそうですが「もうだめだわ」「臨終です」と医師やスタッフが会話しているのがはっきり聞こえたそうです。「蘇生してから事実確認をしたので間違いない」彼はそう話してくれました。

こうした臨死体験者の証言に照らし合わせると、たとえ生命反応はなくとも、母にも家族の言葉は聞こえていたかもしれません。しかしそれはおそらく肉体を離れたところだと思います。

しばし母と別れを惜しんだ後、名寄市風連国民健康保険診療所に電話をしました。すぐに医師と看護師さんが駆けつけてくれました。
posted by かず at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする