2017年03月25日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊸〜


母の葬儀を終え間もなく、帯状疱疹(たいじょうほうしん)を患いました。

帯状疱疹は、子供の時に感染した水痘(みずぼうそう)のヘルペスウイルスが、神経の付け根に残り、疲労やストレスなどで免疫力が低下した時に活性化され発症する、とにかく痛い病気です。

当初は引っ掻き傷のようなチクチクする痛痒さでしたが、どこにも傷はありません。
「なんだろう・・?」
数日すると肋間神経沿いに赤い発疹が顔を覗かせました。
「やべ・・帯状疱疹だ」

これが患者さんなら、すぐに皮膚科を受診させ抗ウイルス剤を使ってもらうところですが、臨床家の私にとって帯状疱疹は一生に一度あるかないかの貴重な機会。帯状疱疹の痛みをプラーナでどこまでコントロールできるか自らの身体で実験してみようと思い立ちました。

ヘルペスウイルスは胸骨から脊椎まで広く増殖していましたが、自分の手が届く胸は自らの手で、手の届かない背中は家族にヒーリングを頼みました。
「紅斑に向け人差し指の先からレーザーを照射するイメージでプラーナをあててみて」
「そんなこと私に出来るかな・・」
半信半疑だった家族も、痛々しかった赤みが、翌日には薄ピンクになっているのを目の当たりにし「パパ!治療しようか」がぜんやる気が起きたようです。

50歳以上の帯状疱疹は、帯状疱疹後神経痛と言われる痛みが長期間残ると言われます。還暦を目の前にした私が、果たして薬を使わずに痛みから完全解放されるのか?跡を残さず治癒することが出来るのか?

2〜3日後、水疱が痂皮化しみるみるうちに治癒に向かっています。心配していた痛みもほとんど感じることなく、通常は1か月以上かかるであろう発疹が1週間で消えました。案じていた帯状疱疹後神経痛もありません。

帯状疱疹は痛みさえなければかすり傷のようなものです。町内会の新年会では痛みを恐れずしっかり飲むことが出来ました(笑)

仲間にも遠隔プラーナで応援していただき、プラーナのありがたさを、自らの身体で再認識出来たことに感謝します。

こうした免疫力の低下には、自分で自覚していない母を失った精神的混乱と空虚さが潜在意識にあったのかもしれません。「死とは使い古した服を着替えるようなもの。命は輪廻の連続性の中にあり、人間の生命は、死後も肉体を除いて、意識・記憶、個性などすべてが存続する」というインド哲学の死生観を盾に、自分に喪失感はない。精神は健全と思っていました。またブログにも「今回の経験を生かし、死に向き合う人や家族が、自分を失わずに穏やかな気持ちで生きていけるよう援助出来れば・・・」などと、偉そうなことを書き連ねていますが・・・私の本質はただのマザコンなのだと知らされました(^^;)

母は死して尚、こんな未熟な私に学びと成長の恵みを与えてくれたのかもしれません。「患者を通じて、施術者自らも救われる」長生上人の言葉を思い起こしつつ、1年以上の長きにわたり「母の死とプラーナ」をご愛読いただいた皆様に感謝申し上げます。

4月から、発病から最期まで母に寄り添いケアしてくれた妹の手記を掲載します。タイトルは「ありがとう ありがとうね」看護師として娘として、飾らない言葉で綴られた彼女の思いが、少しでも在宅で家族を介護する皆様のお役立てば幸いです。
posted by かず at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

犯人は遠くにあり

長生学園同期の木原正己先生から、症例報告が寄せられました。

若い先生を対象に書かれたそうです。
臨床で困った時、道標になると思い掲載させていただきました。
木原先生からのプレゼントです♪


水産業を営む患者さん(50歳男性)が4年ぶりに来院されました。
治療室に入ってくるなり「先生御無沙汰しておりました。左肩が痛くなりました。五十肩になりました」と深刻な顔で訴えます。

問診
木原「いつからですか?」
患者さん「もう4か月になります。初めはそれほど気にならなかったのですが、段々痛みが強くなり、今は物を取ろうとしても痛く、服を着る時、腕を袖に通す動作が痛くて辛いです」

木原「他に気になることはないですか?」
患者さん「靴下を履こうとすると、右足はなんでもないのですが、左足を上げると股関節の周りと鼠径部が痛くなり、足が上がってこないのです。それから・・腰に少し痛みがあります」

木原「それはいつ頃からですか?」
患者さん「腰が気になりだしたのは1年半くらい前ですが、左足の靴下が履けなくなったのは6〜7が月前からです」

木原「その他に気になる症状はありますか?」
患者さん「全身が疲れています」

検査
■動的検査:可動性検査を実施したところ、腸骨の後方・下方と外方に変位があり、左足が1,5p短くなっていました。頸椎はC5が後方・左方と上方に変位して頸椎の動きが少なくなっていました。そのため首が右に傾き、左肩関節の機能低下が認められました。

■静的検査:伏臥位にて筋肉の状態、硬さ、しこり、弾力性を調べたところ、左半身の脊柱起立筋に過緊張があり、左の肩甲骨が高くなっていました。また、左の仙腸関節に圧をかけると、患者さんがベッドの上に腕を置いて動けないほど強い放散痛が左肩に現れました。

治療
軽めに諸筋を緩め、左腸骨の後方・下方と外方の矯正を1か所だけ行いました(後方・下方に重点を置く)

予後
木原「今日の治療はこれで終わりです」
患者さん「先生・・肩は治療してくれないのですか?」
木原「起きて肩を動かしてみてください」
患者さん「先生・・肩が動きます。不思議だ!不思議だ!!」

5日後、2度目の来院
私「その後どうでしたか?」
患者さん「とても楽になりました♪靴下も履けるようになり、袖に腕を通しても苦になりません。もう6割は良くなりました。」

患者さんも自覚症状だけでなく、客観的検査で患者さんの状態を確認したところ、左足の短足が1,5pから5mmになり、左仙腸関節に圧をかけても肩に痛みは起きませんでした。
前回と同じく、骨盤の後方・下方と外方の矯正を行い、治療を終えました。

私「どうですか?ベッドから降りて、自分で身体を動かしてみてください」
患者さん「色々動かしてみましたが、もうすっかり治っています♪」
私「まだ完治したわけではありませんよ。また仕事で無理をすれば戻るかもしれません。もう少し治療を続けてくださいね」
患者さん「はい。確かに先生が仰るように、朝早くから市場で魚を仕入れ、一箱10〜20sの魚が入った重い荷物を持ち上げ、何十軒もお客様の店に届けるのです。店に届けるには階段や狭い通路もあり、大変で辛くてもうやめたいと思うことが何度もありました。本当にありがとうございました。では次回の予約をお願いいたします」

考察
この患者さんのケースは、仙腸関節の左側腸骨の変位が第1次の原因と思われます。それを長い期間放置していたため第2次の原因に移行し、補正作用として首と肩に痛みが発生したと考えられます。つまり犯人は痛みの出ている個所ではなく、痛い箇所から遠く離れたところに潜んでいたのです。

こうしたケースでは、第1次の原因を矯正することにより、全体の骨組みの構成が改善されます。第1次の原因が安定した後、第2次の原因がまだ不安定であれば、それから第2次の原因にアプローチするのが理想的です。同じ日に第1次の原因と第2次の原因、両方を矯正することは謹んで下さい。むしろうまくいかない場合が多いです。

私たち治療家は、患者さんの身体を正しく分析し紐解いていくことで結果が伴うことを再確認した症例でした。このケースでは、おそらくどんなに肩を治療しても治癒しなかったと思います。治療は奥が深いですね。しかし、だからこそ遣り甲斐のある仕事なのではないでしょうか。

若い先生のお役に立てばと思い発表させていただきましたが、少しでも参考になれば嬉しく思います。
posted by かず at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月18日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊷〜


Functional Assessment of Cancer Therapy-Spiritual(FACT-Sp)について読者の方からご質問をいただきました。

一言で言うと、死期の迫っているがん患者さんへのアンケートです。
例えば、人生で大切に思っていること。自分の果たした役割。自分が誇りに思うこと。などを患者さんに記述してもらい、生きる意味、平穏さ、信念など12項目にわたりチェックし、患者さんのスピリチュアリティを評価しようとするものです。

スピリチュアリティとは、単に健康や生活に直結したQOL、つまりWHOの定義する身体面、心理面、社会面だけでなく、生存の質や霊性など多次元的QOLを意味するものなので、客観的な評価には意見が分かれるようですが、こうした議論が活発になってきたことに、医療の本質が、単に病気を治すことだけでなく、病人の尊厳を尊ぶ全人的医療へと方向を変えつつあるのを感じます。しかし私の住む35万都市旭川市には、260の病院と診療所があり、およそ7,600の病床があるそうですが(日本医師会JMAPより 2016年10月現在の地域内医療機関情報の集計値)ホスピスの病床はまだ数えるほどしかなく、当院に通院される看護師さんの話では、大勢の患者さんがベッド待ちをしているのが現状のようです。

長生医学の目的は“霊肉救済”です。今回の経験を生かし、微力ですが、死に向き合う人や家族を失った悲しみに打ちひしがれたスピリチュアル・ペインを持つ人たちが、最後まで自分を失わずに穏やかな気持ちで生きていけるよう援助出来ればと思います。

母にFACT-Spを実施してもらえば、ターミナルケアにおける霊性の部分を客観的に評価出来たかもしれません。

しかし「私ほど幸せな人はいない」と言い残した母に、その必要はなかったと思います。
こうした病の危機的状況でも、自分と他者を肯定できている言葉なのですから。

posted by かず at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊶〜


甥は自他ともに認める“おばあちゃん子”です。

「おばあちゃんと一緒に住みたいから、おばあちゃんのいる名寄に転校させてほしい」と、小学校低学年で親元を離れる決意を本気で両親に訴えるほどでした。

そんな甥との何気ない会話を思い出しました。

甥「ねえ最強ってだれだろうね?やっぱりボブサップかな?」

私「そうだなぁ・・・おばあちゃんとボブ・サップ、どっちが強いと思う?」

甥「そりゃぁボブ・サップでしょ」

私「じゃぁ、ボブ・サップに、ボブさんあなたは明日死にますよ。って言ったら、ボブ・サップはどうすると思う」

甥「う〜ん・・・きっと、うお〜〜!!死にたくない!って大声で泣くと思う」

私「じゃ、おばあちゃんに、あなたは明日死にますよ。って言ったら?」

甥「あら・・・そうなの?仕方ないわねぇ。って言うかもね」(笑)

私「どっちが強いと思う?」

甥「おばちゃん♪」

私「本当の強さって、きっと力の強さじゃなくて、気持ちの強さなんじゃないかな」

Functional Assessment of Cancer Therapy-Spiritual(FACT-Sp)という、がん患者のスピリチュアリティを機能的に評価する調査によると、死を受容出来る人は、例え、身体的、心理的、社会的QOLが低くても、スピリチュアルな領域でのQOLが高いそうです。
posted by かず at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月04日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊵〜


母の死に接し、驚くほど悲しみも落胆もなく、むしろ満足している自分がいました。

母がステージWの膣癌と診断されてから、医療者である私たち兄妹が優先したのは、積極的ながん治療や延命処置ではありませんでした。苦痛の排除を最優先し、母が良い人生だった、生まれてきて良かったと思えるケアです。

そのために医療者として私たちのすべきことは、私たち自身が、死への恐怖をなくし、死は生と続いている自然な出来事なのだと気づくことでした。

こうした生と死の仕組みが本当だとすると、死に対する安心と勇気が生まれ、人生の捉え方が変わり、より前向きな人生を歩めそうな気がします。

自分という存在を考えると、生まれようと思って生まれでたわけでもなく、大きくなろうと思って育ったわけではなく、死のうと思って死ぬわけではありません。こうして生きているのは如来の力があるからと感謝し、執着せず、ゴチャゴチャ考えず、その日一日を明るく精一杯生きればよいのだと母のケアを通し実感することが出きた気がします。

そして最後の最後まで、私の持てる能力を出し尽くし母を施術出来ことは、治療者として何物にも代えがたい経験となりました。母のためのケアがそのまま自己成長の恵みだったのです。

如来は母は通し、治療師として私を成長させてくれたのかもしれません。

「患者を通じて、施術者自らも救われる」長生学園に入学してから36年をかけ、長生上人の言葉をようやく理解することが出来た気がします。
posted by かず at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月28日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊴〜


インド人にとってバイブルともいわれる“バガヴァッド・ギーター”の中にこんなことが書かれています。

「生まれたものは必ず死に、死んだ者は必ず生まれる」
「人が古くなった服から新しい服に着替えるように、魂も使い古した肉体を捨て去り、新しい肉体をまとっていく」
「魂は、生まれることも死ぬこともない」
「魂は、いかなる武器であろうと切り刻むことはできないし、火で焼くこともできない。水に溶けもせず風で枯れもしない」
「不変、不動、永遠の実在。肉体が壊されても魂が壊れることはない」

つまり私たちの本質は物質的な肉体でなく、非物質の魂である。そしてそれは肉体が死しても決してなくなることはないと何度も何度も説いているのです。

”母の本質は生きている”
母の死に接し、驚くほど悲しみも落胆もない自分がいました。
posted by かず at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月21日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊳〜


浄土真宗に「自然法爾」と言う、有名な4文字熟語があります。

自然は、(しぜん)ではなく(じねん)と読みます。
自然現象のことではなく、「人為的なものがない」あるいは「おのずからそのようになる」誤解を恐れずに言えば、人間の力を超えた力を意味するようです。

法爾(ほうに)は、耳なれない言葉ですが、然と同義語で、「法則どおりになる」という意味に捉えて良いと思います。

要するに、阿弥陀如来の他力は、目には見えませんが、アルキメデスの原理のように絶対的な法則として、人間の思惑を超えいつも機能していると言う、親鸞の造語のようです。

その力の前では、私たちの小ざかしい思惑など役にたたないと親鸞は言います。
この法則を忘れ、法則に抵抗し、ジタバタするから溺れ苦しむのだとしたら・・・
法則に従って生きれば、人生は溺れることもなく、悩むこともなく、苦しむこともなく、確かな方向へと進むことが出来るということのようです。

母親の自然の摂理に従がった死に立ち会い改めて思いました。こうして人間の力を超えた力や自然の法則に従っていれば、魂は苦しむことなく、確かな方向へと進むことが出来るのだと。

もし臨終が1日延びていたら、私たちが看取ることはかないませんでした。一家揃って、しかも母の望んでいた在宅で天寿を全うする姿に立ち会うことが出来たのは、やはり御仏の慈悲だったのかもしれません
posted by かず at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月14日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊲〜


医師が帰った後、看護師さんと妹の手で“エンゼルケア”と呼ばれる死後処置が施されました。

現代医学は“人の死”を「呼吸停止」「心臓停止」「瞳孔散大」の三兆候で定義します。

私たちは、生きている間中ずっと呼吸を続けています。
インド哲学には、私たちの根本的な個体原理を意味するアートマンという概念があります。アートマンとは元来“気息”を意味するものでした。それは生気や生命を意味するプラーナであり、哲学的には“霊魂”を意味する術語です。ヨーガなどでは人間の身体を“小宇宙”と捉えますが、それは“宇宙”の根本原理とされるブラフマンと“対”になるものです。

つまり呼吸とは、単なる酸素と二酸化炭素のガス交換ではないのかもしれません。呼吸を止めるということ“は宇宙と小宇宙とのエネルギーの交換”をやめ、肉体を残し魂だけが宇宙に還るという意味を持つのではないでしょうか。

心臓には左右2つずつ4つの部屋があり、右の部屋には静脈血、左の部屋には動脈血を湛えています。心臓の運動が全身の静脈血を右側に引き込む一方で、肺から左の部屋に来た動脈血を心臓が全身に送り出します。呼吸により体の外の酸素とエネルギーを充満させた動脈血が、身体の内側を隅々まで旅して再び心臓に帰ってくるのです。

つまり心臓は、自分の外と内のポジションを示す臓器でもあります。心臓が停止するということは、この世での自分の役割を果たし、現世でのポジションが必要なくなったことを意味するのかもしれません。

瞳孔散大は、医学的には脳幹の機能がストップしていることを意味します。しかし虹彩には、瞳孔を開く筋肉と閉じる筋肉があります。脳幹の機能が止まると両方の筋肉が弛緩するはずですが、なぜ開く方の筋肉だけが働くのでしょう?

臨死体験者の多くが「光の生命」、「崇高な光」との出会いを報告しています。
つまり臨死体験には、きわめて印象的な“光との出会い”が核になっていることが伺い知れます。光の正体は何か?生きている私たちに知るすべはありませんが・・・もしかすると、最期にこうした光と出会うために瞳孔が開くのかもしれない

・・そんなことを考えながら、母への最後のケアが終わるのを待ちました。
posted by かず at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月04日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊱〜

2016年1月3日
「午後5時46分 死亡を確認させていただきました」

正座した松本医師から、正式に母の死が告げられました。

享年八十三歳。

「お母さま良く頑張られたと思います。皆さんもよく尽くされていたと思います。これから病院に帰りスタッフと悲しみを共有したいと思います。何かあればお電話をいただければ力になります」

膣癌による多臓器不全でしたが、末期癌であるにも関わらず穏やかに天寿を全うした母を医師が称賛してくれました。

自宅で家族に見守られ、「私ほど幸せな人はいない」と言い残し、自然の摂理に従った穏やかな最期を迎えた母。その生涯を利他の精神で生きた母を私たちは誇りに思います。

昨日が1周忌でしたが、皆様のご厚情に厚く感謝申し上げます。

尚、新年のご挨拶は失礼させていただきます
posted by かず at 08:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月21日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉟〜


呼吸が停止していること、まばたきをしていないことを見届け、母の瞼を下げました。

人間は、誕生の時「おぎゃー」と“息を吐き”、最期は “息を吸い”この世を去ると聞いたことがあります。母の臨終を見届け”息を引き取る“という言葉が腑に落ちました。

点滴をしていなかったので、傷一つないきれいな肌にはむくみもありません。その顔はかつて見たことがないほど尊厳に満ち崇高さを湛えていました。

「お母さん、よく頑張ったね」
「楽になったねぇ」
「立派だったよ」
「長い間、本当にご苦労様でした」
「美智子ありがとう お前はよく働いてくれたなぁ」
「おばちゃん、ありがとう ありがとう」

目を閉じ呼吸を止めた母に話しかけていると自然に涙が流れました。
しかしそれは悲しみや喪失感の涙ではなく、母の人生に敬意をはらい、労わりと感謝の気持ちが具現化された涙でした。

呼吸が止まっても、人の耳は聞こえていると聞いたことがあります。
知人はマラソン大会で倒れた時、心停止・呼吸停止を来たしたことがあるそうです。体を動かすことは出来なかったそうですが「もうだめだわ」「臨終です」と医師やスタッフが会話しているのがはっきり聞こえたそうです。「蘇生してから事実確認をしたので間違いない」彼はそう話してくれました。

こうした臨死体験者の証言に照らし合わせると、たとえ生命反応はなくとも、母にも家族の言葉は聞こえていたかもしれません。しかしそれはおそらく肉体を離れたところだと思います。

しばし母と別れを惜しんだ後、名寄市風連国民健康保険診療所に電話をしました。すぐに医師と看護師さんが駆けつけてくれました。
posted by かず at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月10日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉞〜


母の呼吸が次第に弱っていくのを家族で見守りました。

「何も心配いらない」
「安心して逝っていいんだよ」

「頑張れ」
「死ぬな」とは誰も言いません。

逝こうとする母を囲み、それぞれが優しく声をかけ、母の体に体温が伝わるよう寄り添います。
最期に穏やかで温かい場所を提供すること、それが見守る側ができる最後の仕事だと、皆が感じていました。

母の魂の指示にしたがい、プラーナも送りませんでした。

目は開いていますが、呼吸が静かに弱まっていきます。
小さな息をすっ・・と吸い、呼吸が止まるのを見届けました。
posted by かず at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月03日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉝〜


「おかあさん着いたよ」
旭川から弟家族が到着しました。

大晦日から名寄に滞在し昨日旭川に帰ったばかりでしたが、危篤の報を受け、取るものも取り敢えずすぐさま駆けつけたのです。

もう声を出すことのできない母に、さかんに話しかけてくれます。
賑やかな会話に耳を傾けながら台所でお茶を入れていると、義妹が私を呼びにきました。

「おかさん、何か言いたいみたい」
義妹の呼びかけに、母が目を開け、口をパクパクさせているというのです。

母の枕元に戻りよく見ると、それは会話の意思表示ではなく下顎呼吸でした。

死の直前の呼吸は、下顎を使うことから「下顎呼吸」と呼ばれます。血圧が低下し、胸郭を使った呼吸が出来なくなるため、顎を使った呼吸に変わり、呼吸数が減少するのです。
それが数分から数十分続いた後に呼吸停止することが多いと、ターミナルケア専門のナースに聞いたことがあります。

「下顎呼吸だ。まずいな・・すぐ妹と親父を呼べ」
弟が、父と妹を呼びに大急ぎで家を出ました。

夜間の付き添いに供え、洗った髪を乾かしていたのでしょう、手にドライヤーを持ったままの妹と、除雪の雪煙で全身雪だらけの父が、母の枕元に駆けつけました。
posted by かず at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月15日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉛〜


吹雪の中を、ドクターとナースが駆けつけてくれました。

母が望んでやまない「在宅療養」を可能にしてくれたのは、この“名寄市風連国民健康保険診療所”のドクターとナースの理解と助力があったからです。

“名寄市風連国民健康保険診療所”は、強化型在宅療養支援診療所の指定を受け、さらに、地域包括医療・ケア施設に認定され、外来診療と往診に加え、24時間対応の在宅医療、終末期の在宅緩和ケアといった、現代医療の課題に果敢に取り組んでいる診療所です。

所長の松田好人先生は、平成24年に「第1回赤ひげ大賞」を受賞されたドクターです。

「赤ひげ大賞」は、病気を診るだけではなく、地域に根付き、地域のかかりつけ医として、誕生から看取りまで、さまざまな場面で住民の疾病予防や健康の保持増進に努めている医師を顕彰すべく、日本医師会により創設された賞ですが、その名の通り、病人や家族と十分なコミュニケーションを取り、病人を病気として扱うのではなく、人間として尊厳を尊ぶ、全人的な取り組みは、本年3月にBS-TBS「ヒポクラテスの誓い」でも紹介され、クライアントの家族として妹も取材を受けています。

暮れも押し迫った12月28日、往診してくれたのは松田医師でした。

「寝ているうちに呼吸していないこともあり、厳しい状況になっています」松田医師の現状説明に対し、妹が答えました
「そんな穏やかな最後なら最高です」
松田医師は、優しくうん、うんとうなずいてくれたそうです。

また、妹が「水分しか欲しがらないので固形物は摂っていません」と報告すると、「食べなくてもいいです。自然のままで。無理するとかえって負担になります。そのほうがいいです」と同調し、「苦痛がみられたら、ご連絡下さい。速やかに対応します」と答えてくれたそうです。

そうした松田所長の姿勢に、母と妹は全幅の信頼を寄せていました。
どうやら、妹が看護師として問い続けていた、苦痛をもたらす延命治療が患者さんにとって幸せなのかという疑問や、看護職のキャリアを通し芽生えた、終末医療におけるケアリングのあり方を、明確に示し体現しているのが松田医師だったようです。

40年、病と闘い続けた母でしたが、今まで母を担当してくれた医師たちへの不満を聞いたことがありません。「皆、優しい先生だったよ♪」と。

最後の最後まで良い主治医に恵まれて、幸せだったね お母さん。
posted by かず at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月08日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉚〜


測定できないほど血圧が下がり、発声に必要な筋肉すら動かす力のない母が、プラーナ療法を行う私に、言葉を発しました。

「もういいよ ありがとう」

義父と同じだ・・・
3か月前、病院で義父に付き添っていた記憶がオーバーラップしました。

義父は、入院する前日まで食欲も旺盛でしたが、朝、急に血圧が低下し意識不明となり、病院に搬送したところ、医師から、「老衰による心不全で肺水腫を起こしております。長くて2日の命です」と宣告されました。

そのまま病院で家族会議を開き、延命治療を断り、薬も栄養も断ち、自然の摂理に従い、出来限り苦痛のない最後を迎えさせてあげようと決め、家族の意向を医師に伝えました。医師も苦痛緩和だけに最善を尽くすと約束してくれました。

その日から、出来る限り家族が交代で父に付き添えるよう力を合わせました。
私は休日前の夜の受け持ちですが、プラーナ療法だけは、仕事が終わってから毎日、病院へ通い実施していました。

私が付き添っていた夜半、急に苦しそうな呼吸になったので、胸にプラーナを送りました。
10分ほど手をかざし、呼吸が落ち着いてきた・・・と、その時です。

「もういいよ ありがとう」
入院以来、一度も声を発しなかった義父の声が、頭の中に聞こえたのです。
それから義父の手が動き、胸にかざしている私の手をそっと押し戻しました。

昏睡状態が続き、寝返りどころか、自力で手を動かすことすらなかった義父が・・それは私の想像を超えた出来事でした。

義父の魂が「もうすぐ還るから、生命エネルギーはいらない。もう治療しなくていいよ」という意思を示したような気がし、その日を境に治療を止めました。

義父が呼吸を止めたのは、その2日後でした。
医師から2日と宣告された余命でしたが、2週間呼吸を続けてくれました。
posted by かず at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月01日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉙〜


「お母さんの魂が“そろそろ還る”って言ってる。だからもう長くないと思うよ」
「不謹慎だけど、葬儀のことも考えておいたほうが良いと思う」

リビングで昼食を取りながら、父とそんな会話をしていた時、妹が母の呼吸が乱れていることに気づきました。

今までになく苦しそうな呼吸です。
往診のドクターに連絡を取り、旭川の弟にも連絡するよう伝えました。

妹が連絡を取っている間、私は母の胸にプラーナを送り続けました。
次第に呼吸が落ち着きついてきた・・・と、その時です

「もういい・・ありがとう」
母の声です。

血圧が下がり、声を出す力すらないはずの母が・・・
「もういいよ」と、もう一度声を発したのです。
posted by かず at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月10日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉗〜


1月3日朝、母はうっすら目を開けて私を迎えてくれましたが、会話はほぼ出来ません。
何か言いたいようですが声が出せません。

「手を握って」
元旦には、手を差し出すと弱々しく握り返してくれましたが、今日は握り返す力がありません。

「チャクラスプレッド」で母のプラーナに介入すると、安らかな寝息を立て始めました。

ただ心配しながら見ているだけでなく、臨終間際でもあっても、こうして手をかけてあげることが出来るのは本当に幸せな仕事だとつくづく思います。

こうした実践を積み重ねることにより、私は母の死後も、少なくともグリーフワークの@〜Hの段階、パニックや抑鬱を踏むことはありませんでした。

ターミナルケアにおけるプラーナ療法は患者さんだけでなく、術者である私の悲嘆や混乱、大切な人を失うという喪失感すら乗り越えることの出来る魂のスキルだと改めて感じました。
posted by かず at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月03日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉖〜


血圧計での測定不可
経口摂取不可

1月3日朝、妹がLINEで送ってくれた母のバイタルを見て、最期の時が目前であることが理解出来ました。

取るものも取り敢えず車に乗り込みました。
コーヒーを買うため立ち寄ったコンビニに置いてあるバナナを見て、子供時代の記憶がよみがえりました。

当時は贅沢品だったバナナを食べる私たちの傍には、3人の子供を見ながら微笑んでいる母がいました。それが体に鞭打ち働いた母の収入から、自分が自由に出来るわずかなお金の使い道だったのです。

我が家ではご馳走の鉄板焼きが食卓に上る時、いつも焼き方に徹している母がいました。
「お母さんは食べないの?」と聞くと「あまりお腹がすいてないの。いいから食べなさい」
自分は食べなくても、子供や他人に食べさせるが母の常でした。

夕食の後志始末を終え、ようやく腰を下ろした母に聞いたことがあります。
「お母さんの夢はなに?」

「そうだね・・ゆ〜〜っくり寝たいだけ寝てみたい(笑)」
朝早くから夜遅くまで働きずめに働き続けた母の望みが、まもなくかなえられようとしています。
posted by かず at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月27日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉕〜


2016年1月2日
妹から報告のあった母のバイタルです。
血圧65/51
脈118
呼吸 15回
体温 36,8度

呼びかけても目覚めず、体をゆすると目を開くそうですが返答はなく、経口摂取は数回のみとのこと。

深い眠りで、苦痛は訴えないそうです。

1月3日
早朝、母のバイタルが送られてきました。
熱36,6度
呼吸12
脈120
血圧 血圧計での測定不可
経口摂取不可

どうやら最後の時が迫っているようです。

急いで名寄に向け車を走らせました。
正月休み最後の日でした。
posted by かず at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月20日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉔〜


私が案じていたのは、母ではなく妹でした。
仕事を辞め母の介護にすべてを捧げてくれている妹が、看護師とはいえ、最愛の母親を失う喪失感に疲れ切った身体と心が耐えられるだろうかと。

大切な人を失った悲しみや、亡くなるまでのプロセスを悔やみ自分を責めることは、とてつもなく大きなエネルギーを消耗します。

消耗したエネルギーを回復させ、心身バランスが通常に戻るまで、数年もの時間を要する患者さんも珍しくありません。

特に、肉親を亡くした悲しみの多くは腎臓に現れることをプラーナは教えてくれます。
腎臓は感情的には、“不安”を司る臓器であると共に“恐れ”を司る臓器のように思われます。

親を失うことにより生じる生存の恐怖。さらに生みの親の死により生じる孤独への不安・・・つまりこの世に生をうけたことにより必然的に生じる、根源的な無意識領域での感情が危機を感じ、たくさんのエネルギーを消耗させてしまうのかもしれません。

それは腎臓の深部に蓄えられた潜在エネルギーを減少させるので、身体はパワーの低下したモーターのようになり、特殊な疲労感が抜けなくなります。顔にしわが増え、縁にはクマ。皮膚や毛髪につやがなくなります。どんなにエネルギーに満ちあふれていた人でも、目の輝きが失せてしまいます。エネルギーレベルの低下は、免疫系を含め全身の機能低下をもたらすのです。

人間の身体は骨組みを中心に構成されています。そしてその骨組みは先天的あるいは後天的な弱点を持っています。物理的外力やストレスなど自然に起きる摩耗がこの弱点に影響を及ぼすのですが、妹の骨格は腎臓に弱点があります。

名寄から旭川へ車を走らせながら、腎臓というエネルギー貯蔵庫の摩耗が、妹の心や身体や免疫を動かすエネルギーを枯渇させないことを祈りました。

母は目覚めた後、夕食の鍋を美味しそうに口にしたそうです。

声を出すエネルギーもない母の、どこからそんな力が湧いてきたのでしょう・・・
それは母を思う妹が心を込めて作った、プラーナ満載の鍋だったからかもしれません。

1月1日。これが今生で最後の食事となりました。
posted by かず at 16:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月16日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉒〜


「グリーフワーク(Griff Work)」という概念があります。
死別などで、大切な人を失い悲嘆に沈む心のプロセスと、やがてそれを乗り越え立ち直っていくプロセスを意味する言葉です。

「死への準備教育」を提唱したドイツの哲学博士アルフォンス・デーケンは、グリーフワークのプロセスを12の段階に分類しています。

1段階:精神的打撃
2段階:死という事実を否認する。
3段階:死に直面した恐怖によるパニック。
4段階:不当な苦しみを負わされたという感情から怒りを感じる。
5段階:周囲の人々や個人に対して、やり場のない敵意を示す
6段階:過去の行いを悔やみ自分を責める
7段階:故人がまだ生きているかのように思い込む
8段階:孤独感と抑鬱(健全な悲嘆のプロセスの一部分)
9段階:精神的混乱と空虚さ
10段階:自分の置かれた状況を受容しようとする
11段階:ユーモアと笑いの復活
12段階:悲嘆のプロセスを経て、より成熟した人格に成長する

「グリーフワークプロセス」の中にいると思われる患者さんは、心の葛藤だけでなく様々な身体的問題も併発していることが、臨床の場ではとてもよく分かります。それは倦怠感、動悸、睡眠障害、めまい、食欲不振、下痢、便秘といった不定愁訴だけでなく、腰痛や関節痛といった筋骨格系疾患、また内科系病態を訴えることも稀ではありません。
posted by かず at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする