2017年07月17日

休診のお知らせ

7月21日(金曜日)は、
上川神社御祭礼につき休 診させていただきます。

3条通り沿いに露店が出店されます。
露店にお越しの際は、ご自由に当院前駐車場をご利用下さい。
posted by かず at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月05日

臨時休診のお知らせ


4月7日(金)午後休診
4月8日(土)〜10日(月) 休 診

第93回長生医学会と長生学園入学式出席のため
上記臨時休診させていただきます。

尚、4月11日(火)から、平常通り診療します。
ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願い致します。
posted by かず at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

日本長生医学会札幌支部定例研究会のお知らせ


札幌支部11月定例研究会は
「物語に基づく医療・攻めの医療に向けて」です。
現代医療に疑問をお持ちの先生はふるってご参加ください。

<日時> 平成28年11月27日(日曜日)《13時開場》
     13時30分から16時まで講演、その後質疑応答
<会場> エルプラザ(札幌駅北口)
<講師> TMSジャパン代表 長谷川淳史先生
<演題>  物語に基づく医療6 攻めの医療に向けて
      〜腰痛の治療革命〜
      TMSジャパン・メソッド フェーズ3(腰痛治療プログラム)
<会費> 2,000円(当日会場にて)

【グランドルール】録音も写真撮影もOKですがビデオはご遠慮ください。



posted by かず at 08:01| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月18日

臨時休診のお知らせ


11月19日(土曜日)は、
学会のため臨時休診させていただきます。

尚、11月21日(月曜日)から平常通り診療させていただきます。
ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願い致します。

posted by かず at 08:11| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月01日

日本長生医学会旭川支部 11月定例研究会のご案内


■日時:11月3日(文化の日)15:00〜17:00
■会場:旭川市4条通16丁目「大村長生館」駐車場有
  “鈴木セミナー Part2”
講師: 鈴 木 英 一  先生
皆様のご要望に応え、鈴木セミナーPart2を開催します。
鈴木先生の横軸への間接的なアプローチは、目から鱗、実践的と大好評でした。
今回は“頭蓋骨への働きかけ”を中心とした鈴木ワールドです♪

セミナー終了後、忘年会を開催します。
■忘年会 会場「にく焼 彦八」旭川市3条通16丁目
ニッケンハイツビル1F 
会費 5,000円

忘年会にご参加いただける先生は、11月1日までに
TEL0166(23)0818
FAX0166(23)9827
メールtulip@muh,biglobe,ne,jp
のいずれかで、大村までご連絡下さい。
posted by かず at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月29日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉜〜


正月三が日にも関わらず駆けつけてくれたのは、名寄市風連国民健康保険診療所の内科医松本晋一郎先生と看護師さんでした。赤ひげ大賞の松田所長と共に、道北にある厳寒の盆地で、地域医療を年中無休体制で担う若きドクターとベテランナースです。

ドクターが到着した時、母の容態は落ち着き、穏やかな寝息を立てていました。

「今夜がヤマだと思います。今夜は泊まって付き添われた方がいいですね。何かあったら遠慮なく呼んでください」」母を診察した松本先生がそう言い残し、雪の中を帰りました。

その言葉に従い、妹は夜に備え入浴と仮眠をとりに自宅に戻りました。
父親は除雪のため外に出ています。

思いがけず、母と二人きりの時間が訪れました。
母のベッドの隣に体を横たえ目を閉じてみました。
物心がつくまで母と一緒に寝ていたはずですが、母の隣に寝るのは・・・いったい何十年振りでしょう。

そこには信じられないくらい穏やかな時間が静かに流れていました。

ふと視線に気付き目をあけると、いつのまにか目覚めた母が私を見つめています。
それから宙を見つめるような視線に変わりました。少し驚いたような顔ですが、それは恐れや混乱ではなく、畏敬の念で何かを見ているかのような表情です。

しかし私には、母の視線の先に何もとらえることは出来ませんでした。

古来より人生の最後に来ると言い伝えられる「お迎え」という文字が頭をよぎりました。
posted by かず at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月22日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉘〜


「お母さんしばらく何も食べてないけど、何か食べさせなくて大丈夫なのか?」
安らかな寝息を立てはじめた母を見て父が心配しています。

「おかあさんは、生命エネルギーがもう残り少ない状態なんだ。無理に食べ物を取らせると、それを処理するためにエネルギーを使ってしまうから、余計に体がしんどくなる。だから栄養はもう取らせない方が安らかに逝けるはず。点滴もしないで、このまま自然に任せたほうがいいと思う」

生物の起源は、およそ35億年前に海の中に誕生したアメーバのような単細胞生物でした。単細胞生物の頃は、ひとつの細胞で消化、吸収、排泄していました。それが多細胞生物に進化すると各々の細胞に栄養を送らなくてはいけなくなります。そのため最初に出来た器官が消化器系。つまり単細胞生物から背骨が出来、魚らしきものになるまでの30億年、人間の祖先は、生命を維持する「食べる」「排泄する」といった、腸の機能がほとんどだったと考えられます。

人間の手足も、多様な内臓や高度な脳も、元をただせば腸から進化したもの。腸から進化した人間にとって、根源的な身体の源ともいえる腸が食物を拒否しているのです。その意思に従い、無理な栄養はやめ、穏やかな最後を迎えさせてあげるのが自然の摂理だと思いました。

統合医療を日本に普及させた、東大医学部名誉教授 渥美和彦博士は「最後は、食べ物を断ち、木が枯れるように逝くのが理想。私はそんな最後を迎えたい」と話してくれたことがあります。

事実、知人の看護師さんの施設では、そうしたターミナルケアを行い、穏やかで苦痛のない最後を迎えさせることに成功しているそうです。

古代より宇宙を内蔵し宇宙のリズムと共振していたであろう腸が、「そろそろ還ろう」という魂の呼びかけに応じ、母の現世での肉体のスイッチを切ろうとしていました。

posted by かず at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月08日

お盆休診のお知らせ


8月15日(月曜日)
8月16日(火曜日)

お盆休み とさせていただきます。

ご迷惑をおかけしますが、上記よろしくお願い致します。     
posted by かず at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月30日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉓〜


母の治療を終え、名寄から旭川に車を走らせながら考えていました。
母の死後、家族の心と身体にどんな反応が現れるのだろうと。

長年の臨床経験から、内臓諸器官は特定の感情と深く結び付いていると感じます。
「腹が立つ」「胃が痛くなる」「胸やけがする」「鳥肌が立つ」・・といった形容があるように、主として否定的な感情は、内臓や皮膚などに反応が起きることが少なくありません。

あまりにも大きな怒りと悲しみから、膵臓を患い糖尿病になった患者さんがいます。
症例報告㉒でご紹介した“グリーフワークのプロセス”死に直面した時に起きる、第1段階の精神的ショック、第2段階の否認、第3段階のパニックなどがこれに属すると思われますが、どうやら膵臓はストレスに対するショックアブソーバーのような役割があるようです。

先日、母親の死をきっかけに、重度の肩関節痛に苦しむ患者さんがお見えになりました。まるで五十肩のように動きの制限された肩関節と、夜も眠れない疼痛に日常生活にも支障をきたし、強い消炎鎮痛剤も効果がないそうです。

こうした痛みは通常の筋骨格的アプローチでは治りません。当初は脊椎や頭蓋骨のゆがみ、筋膜の過度な緊張、交感神経優位の自覚症状などから、グリークワークプロセス第1段階と考えましたが、注意深く身体を観察すると、肝臓のところで私の手が止まりました。発汗が多く、毛髪も妙に油毛です。肝臓は神経系を通じ方と連絡しています。どうやら肝臓機能に問題が起きているようです。

「もしかすると、お母さんが亡くなったことで、ご自分を責めていませんか?」
一瞬驚いた表情を見せた彼女は、目に涙を溜めながら、癌で入院した母親が、病気ではなく、入院中の感染症で亡くなったことを話してくれました。痛みの原因は、母親を亡くした喪失感ではなく、入院を拒む母親を無理に入院させた自分を無意識に責めていることでした。

肝臓は脳とエネルギーをやり取りしているので、自己内部の葛藤に敏感に反応します。お母さんの死は寿命であり、寿命は人間の力の及ぶものでではないこと。百歩譲って彼女に罪があったとしても、数か月夜も寝られないくらい苦しんだことで、もう十分すぎるほど償ったのだと伝えました。

胆嚢を加圧し胆汁の排出を良くすると肩はすぐ挙上できるようになりました。自己否定でエネルギーを大量に消耗している肝臓への負担を減らすため、糖分や乳製品を控えることをアドバイスし、自分を許すことのできた彼女は、ほどなく肩の痛みから解放されました。

グリークワークプロセス第6段階の罪意識が肝臓に負担をかけ身体の痛みを引き起こしていた症例ですが、彼女に限らず、怒りや悲しみ、罪悪感といったネガティブな感情が内臓や骨格筋に負担をかけるケースは決して珍しいことではありません。
posted by かず at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

日本長生医学会旭川支部2月定例研究会のご案内


市民公開講座「「ストレスを活かす」
〜マインドフルネスから行動の変容へ〜

■日時:2月14日(日曜日)13:00〜14:45 
■会場:旭川市5条4丁目「旭川市勤労者福祉総合センター」2階小会議室B
■講師:インド政府公認・日本ヨーガ療法学会認定ヨーガ療法士 吉 武 ゆ り 先生

過去や未来にとらわれず、今現在の経験の質を深める最新心理療法の実践は、ブッダの説いた“人生を幸せに生きる術”の根幹をなすものであり、ストレスとの付き合い方を知り、日々の成長に活かすためのワークです。明日からの精神療法にお役立て下さい。
またこの研究会は、市民公開講座として一般の方にも開放します。
入場無料
お誘いあわせの上、お気軽に足をお運びください。
posted by かず at 08:14| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月07日

本年の診療をはじめました

1月4日〜6日まで葬儀のため臨時休診させていただきましたが、
本日1月7日より診療を開始しました。

故人は実の母です。
昨年4月に”子宮頸癌ステージW”と診断されましたが、自らの意思で入院せずに在宅療養を選択していました。

ナースの妹の看護とプラーナ療法で、末期癌にも関わらず、食欲旺盛で痛みのない穏やかな正月を迎えることが出来ましたが、1月3日夕刻から血圧が低下し、家族に看取られ穏やかに呼吸を止めました。  
母は誰にも分け隔てなく接する人でしたが、棺の前で、涙ながらに思い出話を語る親戚や友人たちの姿に改めて母の徳を知りました。

仕事始めからご迷惑をおかけしましたが、本日より平常通り診療を開始いたしました。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。



posted by かず at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月23日

阿頼耶識200 死の意味E


ジョージ・ハリスンがインド哲学に傾倒していたことは有名です。
それは音楽にも反映され「マイ・スウィート・ロード」という私の大好きな楽曲に「hare krishna(ハレ クリシュナ)」と、インドのクリシュナ神を崇めるかのような歌詞があります。

当時は「なんのこっちゃ?」くらいで、特に気に留めてもいませんでしたが、このブログを書きはじめてから、私の書棚の奥で長年開かれていなかった「主バガヴァーン クリシュナ」という本がふと目にとまりました。手に取りとパラパラめくっていると、なんとジョージ・ハリスンの名前が出来てきたのです。

IMG_0325.JPG

実はこの本、およそ20年ほど前に札幌駅前で、見ず知らずの風変わりなインド人に手渡されたものでした(^^;
)クリシュナ意識国際協会日本支部という組織で発行されたこの本の“はしがき”には「ジョージが19000ドルを寄付し諸経費を賄って出版した」と書かれ、彼は冒頭に寄稿文を寄せています。

その中に彼の死生観を垣間見ることのできる一文を発見しました。
「何生涯もの間、私たちは一時的な物質と関わってきました。骨と肉の塊にすぎないこの体を、私たちは自分自身であると誤解しているのです。私たちはこの一時的な状況が最終的なものであると考えているのです」

それは、輪廻はもとより、人間の本質は肉体から独立して存在する魂であることを実体験した坂本正道氏や、だから病気も加齢も本当は何も怖がる必要はないのだと主張する矢作直樹先生の論的根拠、そしてスワミ・メーダーサーナンダ師の説く“死の意味”と同じものでした。
posted by かず at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月17日

阿頼耶識199 死の意味D

東大で物理学を学んだ元ソニーのエンジニア 坂本正道氏が興味深い話をしておられます。

坂本正道.jpg「自分は徹底した徹底した物質論者であり、精神活動も含めすべての現象は物質とエネルギーで説明できると固く信じていたが、体外離脱を何度も経験したことにより、人間の本質は肉体から独立して存在する非物質のものであることを感得した」と述べています。

どうやら魂は、非物質としての特徴を持っているようです。

インド哲学の重鎮 スワミ・メーダーサーナンダ師も人間の持つ物質面と非物質面の特徴を比較されました。

物質である粗大な体(肉体)、精妙な体(記憶、五感による感覚、知性、心、プラーナ)、原因の体(心の源となる自我)には、始まりと終わりがある。しかし非物質である魂(アートマン)には終わりがない・・つまり永遠の存在なのだと。

また、物質は有限ですが、非物質である魂は無限。

そして物質は時間と空間に限定され、時間と空間の中でしか存在できませんが、非物質である魂は、時間と空間に限定されない。つまり偏在するそうです。

坂本正道氏も同様に「魂は時間と空間に束縛されないので、過去や未来へ行くことも、地球から230万光年先のアンドロメダ銀河まで、一瞬で移動出することも可能です」と著書に記しています。

現代物理学の原理では光の速度より早く移動する物質やエネルギーは存在しません。したがって“魂は物質ではない何か未知の存在”というという意味で、非物質と呼ぶのが適しているのだとか。

なるほど・・「千の風に乗って」の詩は魂の本質を説いていたのですね。
9月28日に他界した当院院長も、不自由な肉体を離れ、横浜や四国まで自在に飛びまわり、同志たちを訪ねているようです。
posted by かず at 18:08| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月06日

THE蕎麦


お通夜が始まる前に故人を偲び、故人が好きだった蕎麦を食べに行きました。

IMG_0290.JPG東家 旭川市3条16丁目


当院の斜め向かいにあるので、治療に訪れた際ここに立ち寄るのを楽しみにしている患者さんも少なくありません。

蕎麦の味を堪能できる、まさに「THE蕎麦!!」という形容がぴったりだと思います。

車で3時間かけ食べにくるファンもいる蕎麦は、もちろん手打ちです。
いわゆる田舎蕎麦の形態で、つゆは濃い口ですが、太めの蕎麦によく合います。
更科系蕎麦好きには、好き嫌いがあるかもしれませんが・・・私は大大大好きです♪

故院長が、美味しそうに蕎麦をすする音が聞こえてくるような気がしました。
posted by かず at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月29日

お知らせ


平成27年9月28日午後3時30分
大村長生館院長 大村基實(享年89歳)が、
老衰のため天寿を全うしました。

スーパームーンの翌日、眠るように穏やかに自然の摂理に身を委ねたのだと思います。、
最後まで生き抜いた院長をリスペクトします。

ついては10月1日〜10月3日まで、
葬儀のため臨時休診させていただきます。

posted by かず at 21:58| Comment(1) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月25日

阿頼耶識198 死の意味C

「人は死なない」東京大学救急救命部の矢作直樹教授は、人は亡くなったらそれで終わりではなく、亡くなった後でも生命は存続し続けていると主張します。

北海道ヴェーダーンタの会が主催する、古代インド哲学のセミナーに参加する機会に今年も恵まれました。「人はなぜ生まれ変わるのか」をテーマに、カルマの法則と自分という存在の成り立ちを、インド哲学の重鎮 スワミ・メーダーサーナンダ師とともに考える集まりです。

スワミジ.jpg

師は講和の中で“死の意味“を、粗大な体(肉体)から、精妙な体(記憶、五感による感覚、知性、心、プラーナ)と、原因の体(心の源となる自我)が離れることと定義されました。

つまり肉体という目に見える粗大な物質は死んでも、心や自我、プラーナなど目に見えない精妙な物質はそのまま元気なので、肉体がなくなっても”私という自分はなくならない”というのです。

矢作教授と同じ死生観ですが、驚いたことは、「人間はたくさん経験をするためにこの世に生まれてきているのです。自分という存在の基礎となる”魂(非物質)“が、古びて動きの鈍くなった不自由な肉体から、動きやすく性能の良い新しい肉体に再生させてくれるのですから、それはむしろ喜ばしいことなのです」と、死を実にポジティブに捉えているのです。
posted by かず at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月15日

阿頼耶識197 死の意味B

東京大学医学部救急医学分野教授の矢作直樹先生が書かれた本のタイトルは「人は死なない」

「人は死なない」とは、人は亡くなったらそれで終わりではなく、亡くなった後でも生命は存続し続けているという意味のようです。

現役ER医である矢作先生が、生と死が行き交う救急医療の現場で、数々の不思議な体験をベースに思索した死生観は、現役科学者らしからぬことに驚かされます。

「人間はコンピューターを内臓した着ぐるみを着たようなものであり、電源を持った魂がコード(著者注:近代スピリチュアリズムでは「シルバーコード」と呼ばれ、日本では古来「玉の緒」と呼ばれている)でその着ぐるみと繋がり、スイッチを入れた状態になっている。着ぐるみとは肉体、コンピューターは脳、魂による脳の活動が精神であり心、精神状態活動の状態が意識、無意識、精神活動の結果生まれるコンテンツが記憶である。なお、記憶は肉体の脳だけでなく、魂にもカーボンコピーのように、まったく同じように記憶される。この例えでいうと、魂はシルバーコードを介して電気を流し、着ぐるみやコンピューターを操作しメンテナンスしているということになる」と明らかに”魂”の存在を肯定しています。

さらに矢作先生の著書には「死は終わりではありません。私たちの魂は永続します。そもそも私たちの本質は肉体ではなく魂ですから、病気も加齢も本当は何も怖がる必要はないのです」と書かれています。

科学者として宗教性を排除しながらも、自らの体験から得た実感的な死生観は、あたかも古代インド哲学を説いているかのようでした。
posted by かず at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月05日

阿頼耶識196 死の意味A

人は死ぬとどうなるのかなぁ?

何もなくなる?
闇の世界を永遠にさまよう?
地獄に落ちて、針の山を歩かされる?

幼少のころから漠然とこんな認識を持ち、“死”を忌み嫌うものとして恐れていたように思います。

しかし、死んだら何もなくなるという考え方は、私に限らず現代物質文明に身を置く多くの人が持ちあわせているのではないでしょうか。また中国の神仙思想、エジプトのミイラ信仰、イスラムの緑園にみられる、現実の肉体的生命が無限に存在するという死生観も古代から今なお存在します。祖霊信仰にみられる、肉体も霊魂も滅ぶが、死後の世界で存在するという考え方や、キリスト教の神の国と永遠の死、ヒンドゥー教の輪廻など、肉体は消滅しても霊魂は不滅という死生観は既存宗教の代表的な教えです。

死は、お釈迦様が妻子を捨て出家する動機となった、人間が逃れることのできない根本的な苦悩であり、ある意味仏教の原点と言われます。

しかし、なぜ死を観つめることにより幸福になれるのでしょう?

長生上人は、その具体策を「平生業成」という宗教性に見出しています。

しかし宗教性を離れたところで“死の実相”を見つめている理系の知識人たちがいました。

東京大学救急救命部の矢作直樹教授が書かれた本のタイトルは、なんと・・「人は死なない」
無題.png
posted by かず at 07:53| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月22日

阿頼耶識195 死の意味@


このところ、身近な人の“死”について考えざるを得ない機会が増えてきました。
死をテーマにブログをはじめ十数年になりますが、どこか他人事であったことは否めません。今、身近で死に向き合う人の恐れや、家族を失う悲しみに遭遇している人に、私自身何ができるのか?「いつまでものんびり考えてんじゃねえよ!」と叱咤されている気がします。

仏教では“無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり“と言います。

「無常を観ずる」とは、死をありのままにみつめること。
「菩提心」とは、本当の幸せを求める心。
つまり、「死」という生命体にとって大問題と真正面から向き合うことが、「真の幸せ」を手に入れるための第一歩という意味のようです。

絶対にはずれない占いは「あなたはいずれ死ぬ」なのだそうです。私たちの人生を「生まれた時から墜落すると分かっている飛行機に乗っているようなもの」と比喩する作家もいましたが、確かにその通りです。100%落ちると分かっている機内で、墜落するまでフライトを楽しみなさいと言われても・・(^^;)しかし親鸞は、それでも「生まれてきてよかった!」という生命の歓喜を得なさいと言います。

長生上人もまた「この世界を離れることは間違いのない事実だが、幸いに私は今日は機の分限(信心が定まること)と法の分限とを知らさしていただき、この上ない幸せにさせていただき、報恩感謝の生活のみであります」と、いずれ死ぬことは分かっているが、信心を定めたことにより、最高の幸せに包まれていると自書(長生医学上巻p22)に記しています。

しかし、なぜ死を観つめることにより幸福になれるのでしょう?
posted by かず at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月08日

阿頼耶識194 アストラル体B



アストラル体は「感情体」とも呼ばれ、私たちの感情の発現の媒体となるそうです。
いわゆる「欲望・気分・感覚・渇望・食欲・性欲・恐怖」などもアストラル・エネルギーであると考えられています。

アストラル体.gif

アストラル体が私たちの感情と強く関係しているということは、「肉体」と「心」と「アストラル体」の間にも密接な関係があると推測できます。

阿頼耶識193でご紹介した、上司の怒鳴り声が嫌で難聴になっていた患者さんの症例は、患者さんが上司に抱いていたネガティブな感情に向き合いそれをコントロールしたことにより、アストラル体の感情エネルギーが調和を取り戻し、エーテル体から物理的肉体へ正常なエネルギーが作用し、症状が改善したと考えられます。

斉藤一人さんも、病気がちな人は、神経過敏な人、不安を大きくする人、マイナスを探すくせがある人。目上の人を嫌うと目の上が重く感じたり痛くなる。胃が悪いのは、食べ物に感謝しない人。恐がりすぎる人や人に言えない思いを溜め込むと腎臓が悪くなる。痔の人は、いつもソワソワして、尻が落ち着きがない・・など、病気と感情の因果関係について、極めて具体的に言及していますが、不安定な感情が、脳内神経障害とともに、アストラル体およびアストラルエネルギーに異常を及ぼしていると考えれば、多くの病気は、アストラル体を起点とする、ある意味「心身症」の側面があるといえるのかもしれません。

実際、そうした見方が、リチャード・ガーバーMDはじめ先端的なドクターの間で広がっているようです。

そしてこうしたケースの治療は、心理療法やカウンセリングなどで感情的ストレスを取り除くことだけでなく、エネルギーワークでアストラル体へアプローチすることも未来的医療として考えてられているようです。
posted by かず at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする