2017年03月25日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊸〜


母の葬儀を終え間もなく、帯状疱疹(たいじょうほうしん)を患いました。

帯状疱疹は、子供の時に感染した水痘(みずぼうそう)のヘルペスウイルスが、神経の付け根に残り、疲労やストレスなどで免疫力が低下した時に活性化され発症する、とにかく痛い病気です。

当初は引っ掻き傷のようなチクチクする痛痒さでしたが、どこにも傷はありません。
「なんだろう・・?」
数日すると肋間神経沿いに赤い発疹が顔を覗かせました。
「やべ・・帯状疱疹だ」

これが患者さんなら、すぐに皮膚科を受診させ抗ウイルス剤を使ってもらうところですが、臨床家の私にとって帯状疱疹は一生に一度あるかないかの貴重な機会。帯状疱疹の痛みをプラーナでどこまでコントロールできるか自らの身体で実験してみようと思い立ちました。

ヘルペスウイルスは胸骨から脊椎まで広く増殖していましたが、自分の手が届く胸は自らの手で、手の届かない背中は家族にヒーリングを頼みました。
「紅斑に向け人差し指の先からレーザーを照射するイメージでプラーナをあててみて」
「そんなこと私に出来るかな・・」
半信半疑だった家族も、痛々しかった赤みが、翌日には薄ピンクになっているのを目の当たりにし「パパ!治療しようか」がぜんやる気が起きたようです。

50歳以上の帯状疱疹は、帯状疱疹後神経痛と言われる痛みが長期間残ると言われます。還暦を目の前にした私が、果たして薬を使わずに痛みから完全解放されるのか?跡を残さず治癒することが出来るのか?

2〜3日後、水疱が痂皮化しみるみるうちに治癒に向かっています。心配していた痛みもほとんど感じることなく、通常は1か月以上かかるであろう発疹が1週間で消えました。案じていた帯状疱疹後神経痛もありません。

帯状疱疹は痛みさえなければかすり傷のようなものです。町内会の新年会では痛みを恐れずしっかり飲むことが出来ました(笑)

仲間にも遠隔プラーナで応援していただき、プラーナのありがたさを、自らの身体で再認識出来たことに感謝します。

こうした免疫力の低下には、自分で自覚していない母を失った精神的混乱と空虚さが潜在意識にあったのかもしれません。「死とは使い古した服を着替えるようなもの。命は輪廻の連続性の中にあり、人間の生命は、死後も肉体を除いて、意識・記憶、個性などすべてが存続する」というインド哲学の死生観を盾に、自分に喪失感はない。精神は健全と思っていました。またブログにも「今回の経験を生かし、死に向き合う人や家族が、自分を失わずに穏やかな気持ちで生きていけるよう援助出来れば・・・」などと、偉そうなことを書き連ねていますが・・・私の本質はただのマザコンなのだと知らされました(^^;)

母は死して尚、こんな未熟な私に学びと成長の恵みを与えてくれたのかもしれません。「患者を通じて、施術者自らも救われる」長生上人の言葉を思い起こしつつ、1年以上の長きにわたり「母の死とプラーナ」をご愛読いただいた皆様に感謝申し上げます。

4月から、発病から最期まで母に寄り添いケアしてくれた妹の手記を掲載します。タイトルは「ありがとう ありがとうね」看護師として娘として、飾らない言葉で綴られた彼女の思いが、少しでも在宅で家族を介護する皆様のお役立てば幸いです。
posted by かず at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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