2006年11月21日

光の指す方へ28〜海〜 by希望


水辺のエネルギーに呼ばれるように・・・。
 このときの旅は今振り返ってみると、水の力を求めた旅でした。
 特に・・海。

 北海道の中央部に位置する旭川は、海が遠い。・・たぶん物理的距離だけでなく、心理的距離も。

 海に行きたい!・・どうしようもなく強い思いが湧くのは、無意識のうちに、流れに勢いをつけてくれる動的なエネルギーを必要としているとき。
それだけではなく、ルーツを見失って迷ったときには閉じきっている…大きなものとつながる眼を開いてくれるエネルギーを・・。


 海は形あるようでないもの。ないようであるもの。
誰も海を掬うことはできない。バケツに汲んだら、海水であって海ではないから。
けれども海の一部‥凝縮した海。限りある海。
波は一瞬で砕けて二度と同じ波はこない。
一瞬の命は働きを終えて散る。短い命も、なかったわけでも、なくなったわけでもない。
海はわたしが何ものかであることと、何ものでもないことも映し出している。


 子どもの頃、親しんだ海。年に数回は行っていた青い玄海灘の海、そして自転車で行ける距離には、青くない有明海(笑)干潟がありました。
満ちたら泥色の海、干いたら水を抜いた水田みたいな海。
小学生の頃、おむすび持って友達と自転車で遊びに行っていました。

 干潮のとき、Tシャツ短パン姿で潟に入る。ひんやりとした泥にずぶずぶ‥ぶくぶく‥と足が沈む。ねっとりとした弾力と緩やかな抵抗、潮の刺激から足を引き抜きつつずっぽんずっぽん前に進む。
次第にムツゴロウやカニたちの仲間になる。
目の前に広がっていた泥の海は、わたしを包む巨大な生きものに変わる。足の下も前も後ろもぶくぶくと海は呼吸をし、無数の穴から水を出したりひっこめたり。小さな生きものたちは聞き取れない音をたてながら、さやさやがしゅがしゅつーいつーいと泥の上も穴の中も自由自在に動いている。暑いときは化石のようにエネルギーの消耗をふせぐ。太股まで泥につかったら前進を止めて干潟になる。いつのまにか潟の呼吸にとけこんで海と私の境界がなくなる。

大きないのちのひとつの細胞になって、海のエネルギーが私に通う・・・。


 私にとっての海体験は、潟になること。波のひとつになることでした。

あの旅で海を目指したときに、ここまでリアルに思いだしていた訳ではなかったけれど、海の吸引力は、子どもの頃の海体験からきていたようです。

この記事へのコメント
うむむむむ・・・

今回は非常に深いですね

海は地球上に集う生命の根源です。
海に生命の母胎として子宮回帰願望のようなものを感ずるのは、
生命進化の過程を薫習する阿頼耶識からのメッセージかもしれません。

しかし、
「海は形あるようでないもの。ないようであるもの。
誰も海を掬うことはできない。バケツに汲んだら、海水であって海ではないから。
けれども海の一部‥凝縮した海。限りある海。
波は一瞬で砕けて二度と同じ波はこない。
一瞬の命は働きを終えて散る。短い命も、なかったわけでも、なくなったわけでもない。」

このくだりは、海も「ある」「ない」と考える対象ではなく、
あくまでも相互的な関係性の中で起こる出来事としてとらええる仏教思想なのでは・・・

海は希望さんにそんなことまで伝えているのですか

うむむむ・・・

Posted by かず at 2006年11月21日 07:45
かずさんコメントありがとう(*^_^*)
なんだかうならせてばかり?!

今回書いたことは、確かに子どもの頃の海体験です。あの海に(記憶)戻って感じてたこと、思ってたことをできる限り現在の私の語彙の範疇で再現してみました。

海の中にいると、まったく自由でした。
その自由さを表現するのは困難だけど、書いてみます。

それは「今・ここ」で「私」が体験しているという「有限な時空間」とそこで強烈な体験をしている「私」を感じると同時に、「これまでもこれからも」「ここだけではない世界への広がり」・・個人的な私の存在に関わらず営みをつづける生命から「無限に近い時空間」に「連鎖している生命」をも感じている・・。
「時間・空間」は有限でもあり無限でもある自由。私は唯一の「私」でもあり、無数のいきものたちの無限に近い広がりの中でひとつの点ほどのはかなさでもある自由。

このまったく正反対だと思われる「有限性と無限性」「?(語彙力がなくて書けません)かずさん表現をヘルプ(^^;;;(つまり、唯一無二であることと、???)」感覚?が共存していました。その共存ゆえに、私はとっても自由だったように思います。
手に掬った海水は、この世界と私のつながりを凝縮して教えてくれました。
それはたぶん、私が海の一部になったからだと思います。

かずさんが仏教思想なのではと書かれていたことの返事をしたかったのに‥私にはどう表現したらいいのか難しくておてあげです。支離滅裂でごめんなさい\(>_<)/
訳わからなくなって、私もうなってます・・・(^-^;)
希望
Posted by 希望 at 2006年11月21日 19:09
希望さんが書かれた、海の中にいる体験は、
荘子の思想に良く似てますね♪

「胡蝶の夢」で荘子は蝶になる夢を見ました。(詳細は阿頼耶識15を参照して下さい)

ここで荘子は「私が蝶でも、蝶が私でも構わない」と言ってます。深読みすれば、夢も現実も相対的なものであり、どちらが現実かなど分らないのだと言ってるように思えます。

希望さんは、海水も実在が変化する根源的な意識の流れそのものということを仰りたいのでは?

つまり、荘子が蝶になるか、希望さんが海水になるかの違いなのでは?





Posted by かず at 2006年11月21日 23:31
かずさんのコメント2がますます難しくなって、うなっていました。
が‥返事にチャレンジします(>_<)
「海水も実在が変化する根源的な意識の流れそのものということを仰りたいのでは?」と書かれていましたね。
私はこんな難しい言葉で考えていたわけではないけれど、確かにそうだと思います。
荘子が言ったという「私が蝶でも蝶が私でも構わない」というのは、蝶を海に代えたら、まったくあのときの状態を言いえていると思いますから。
海が実在が変化する根源的な意識の流れそのものであるように、わたしもそうである‥と。言葉にしたら、堅苦しくて訳わからないけど‥対象(‥とわけることすら困難に思える)との深い交流は、自由と開放の体感そのものだと‥。
この開放と覚醒は、この旅でますます深いものになっていきます。
次回をお楽しみに(笑)



Posted by 希望 at 2006年11月25日 21:03
はい♪
楽しみにしております。

実は、希望さんや荘子の体験は、
量子論を研究する理論物理学者たちの宇宙観と、
とても良く似ているのです。

先ほどUPした阿頼耶識16に、勝手な要約を書いてみました。
ぜひご一読下さい。
Posted by かず at 2006年11月26日 12:47
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Excerpt: 弊社のサービス「イージョブゴー」(http://www.ejobgo.com)が、昨日の日経産業新聞に写真入りで大きく取り上げられた。日経新聞、日刊工業などからも取材が来ているので、新聞、雑誌にも掲載..
Weblog: HottaWorld::「活・喝・勝」
Tracked: 2006-11-21 22:53

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Tracked: 2007-01-04 22:35

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Tracked: 2009-03-28 13:07