2017年06月28日

休診のお知らせ

7月3日(月曜日)・7月4日(火曜日)は、
夏季研究会のため、休 診させていただきます。

尚、7月5日(水曜日)より、平常通り診療致します。
ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

posted by かず at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月23日

ありがとう・ありがとねF

平成27年5月10日

和彦兄治療。
「組織病変が骨格病変を引き起こしている。骨格的問題は相当改善してきている。
うまくいけば、しばらくの間、楽に過ごせると思う」

義博兄、京美ちゃん、羽―ちゃん来る。
義博兄「おばあちゃんが元気になっていてびっくり」と。
鶏の半身揚げを「おいしい」と食べたと聞く。

5/11 今日は表情が良く、話し方や声が力強く感じる。
食欲も出て「おいしいんだから」

週1回ペースで治療を受け、さらに毎日遠隔プラーナ療法を受け、動いても頻脈になることがなくなり、食欲が出て「おいしい」とADLも拡大する。

posted by かず at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | ありがとう・ありがとね | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月14日

月03日 ありがとう・ありがとねE

平成27年5月8日

 今朝、兄からの遠隔プラーナ療法時
「指の付け根から水が湧き出し、指先の方へ流れる様な感じがする」
しばらくして
   「治療、終わったわ」
   時計をみたら8:35分、何故わかるか聞くと
   「その感じが弱まり、今度は逆に指先から指の付け根に水が戻って来る感じがし
て、すごく弱まったから。こんなの初めてだ」

5/8 МRI(腹部〜骨盤腔)検査し帰宅。
待合室で「私、癌になってしまったけど、心配して大事にしてくれる子供達がいてくれて幸せ者だよ。ありがたいし幸せだ」

こんな事言ってくれるなんて涙がでる。
昨夜はいろいろなことを考え、不安で眠れなかっただろうに。
自分を投げうって皆に尽くし頑張ってくれた母の力になりたい。
もう辛い思いや我慢は絶対にさせたくない。
待合時間も今は私にとって母との貴重な時間に思う。
勤務を配慮して下さる師長、スタッフに感謝。
posted by かず at 08:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ありがとう・ありがとね | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月03日

ありがとう・ありがとねD

平成27年5月
少しの動作で頻脈と不整脈となり「胸が苦しい」と臥床し安静にしていると、しばらくして徐々に落ち着く。この繰り返しで、ほとんど臥床して過ごしている。
下半身の浮腫もある。咳も出る。食欲ない。ADL低下。

PSにあてはめるとグレード3に近い2〜3に各当する。余命2ケ月〜4ケ月半くらいかなぁ。

5/5 和彦兄治療。「骨盤内膜が心膜と胸膜を引っ張り頻脈にしている状態」
5/6 和彦兄治療。

5/7 本日午後、婦人科再診日。
一応、父に「今日、検査結果の説明があるから、一緒に受診してお父さんも先生の説明を聞くかい?」
「俺が聞いてもわからん。お前が聞いて来てくれ」

婦人科再診。(検査結果の説明を受ける)
「細胞診検査の結果、癌でした」と告知を受ける。前回受診時に私が説明を受けた内容を母も説明受ける。
   母は表情変わらず「そうですか」自分に納得させるように「うん・うん・うん」と何度も頷いている。
   「先生、入院はしたくありません。家に居たいです。痛いことも、もう嫌です」
   「わかりました。そうだよね。痛いことは嫌だよね。定期的に顔を見せてもらって経過をみて行きましょう。何かあったら、いつでも来て下さいね」
外来通院で経過をみていくことになる。
  
私だけ残り、本人の意思を尊重し積極的治療は望まず、できる限り自宅療養し、日常生活に支障を来たす時が来たら、旭川厚生病院の緩和病棟へ入院希望と話す。

診察後
「あんたの言うように早く病院に来たら良かったね。嫌になっちゃうね。
でも、なってしまったものはしょうがない。優しい先生で良かったわ」

「進行がゆっくり、ゆっくりだから症状が出なかったんだよ。入院しても寝ているだけだと思うし、かえって良くないもね。集団生活だし制限が多いからストレスで逆に病気になっちゃうもね。心臓で入院した時に同じ部屋にひどい人がいて、眠れなくて大変だったもね。私が付いているから大丈夫。ずっとお母さんの傍にいるから家に居よう。お母さんはまだまだ若いけど、年齢的には癌の進行が遅いから、今まで通りに生活してればいいんだよ。何か症状が出たらその時に考えよう。今はいい薬もたくさんあるから家でも生活できるよ。でも今までみたいに無理はダメだよ。これからは何でも言ってね」

「ありがとう。心配かけるね。仕事休ませてごめんね。もう少しで晩ごはんだから
お弁当でも買って帰ろうか。あんたとヒデちゃんの分も買おう」

母も覚悟はできていたと思うが、やっぱりか〜 という思いと共に、残念で残念でならなかったと思うし悲しかったと思う。
先生からの告知をきちんと聞き入れ、自分の考えを伝える母、立派だった。

帰宅し私から父に伝える。
「お母さん、婦人科の癌だった。お母さんも先生から聞いて知っている。2度目なので放射線はかけられないし、高齢なので抗がん剤も強い薬は使えないから、定期的に通院して経過をみて行くことになったよ」

父は厳しい表情で聞いていたが
「しかし、お前もわからんかったのか?何か症状はなかったのか?」と責め立てるよう
に言うと外作業へ行ってしまった。

「いつものことだよ。何でも私が悪いんだ。私が悪者で丸く収まるようになってるんだから。私が癌になったのはストレスのせい。1回目はお父さんと楡木のおばちゃんのせい。2回目はお父さんのせいだと私は思っているよ」下を向き呆れたように言う。
「傍に私がいるから大丈夫。頼りないかもしれないけど、頼りにしてね」
「ありがとう」

お母さん、悔しいね。涙が出るね。
父には怒りを通り越し情けない。どうして、病院疲れただろ、これから無理するなよと言ってあげられないのだろう。
父もショックだと思うが、少し前に告知を受け、ショックを受けている母への思いやりやフォローの言葉はないのか?
こんな酷いことを言われても反論もせず、どんなにか悔しいだろう。
一番つらいのは母なのに。

外へ行き父に話す。
「今まで通りの生活でいいのだけど、これから徐々に身体がこわくなってきて、出来ない事が増えてくると思う。無理だけさせないようにしようね。私も協力させてもらうからね。
それと、お母さんはできる限り入院はしたくない。家に居たいと言ってるんだ。
痛みや苦しくなって来たら、痛みや苦しみを楽にしてくれる旭川にある専門の病院に入れてあげたいと考えているのだけど、時期が来たらまた相談するね。
あと、どんな病気もそうだけど、急に病状が変わることもあるということだけ頭に入れておいてね。兄ちゃんとよっちゃんとも相談しながら、みんなでお母さんを支えて行こうね」
聞いているのかいないのか、顔も合わせず「うん」

父もショックが大きいと思うが、母を責め、優しい言葉もかけず最低な態度をとった。
母の病気に正面から向き合おうとしない。
今後時間をかけて受け入れ、何か聞いてくることを期待しよう。
でも時間がないのに。
posted by かず at 18:13| Comment(0) | TrackBack(0) | ありがとう・ありがとね | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする