2017年01月28日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊴〜


インド人にとってバイブルともいわれる“バガヴァッド・ギーター”の中にこんなことが書かれています。

「生まれたものは必ず死に、死んだ者は必ず生まれる」
「人が古くなった服から新しい服に着替えるように、魂も使い古した肉体を捨て去り、新しい肉体をまとっていく」
「魂は、生まれることも死ぬこともない」
「魂は、いかなる武器であろうと切り刻むことはできないし、火で焼くこともできない。水に溶けもせず風で枯れもしない」
「不変、不動、永遠の実在。肉体が壊されても魂が壊れることはない」

つまり私たちの本質は物質的な肉体でなく、非物質の魂である。そしてそれは肉体が死しても決してなくなることはないと何度も何度も説いているのです。

”母の本質は生きている”
母の死に接し、驚くほど悲しみも落胆もない自分がいました。
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2017年01月21日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊳〜


浄土真宗に「自然法爾」と言う、有名な4文字熟語があります。

自然は、(しぜん)ではなく(じねん)と読みます。
自然現象のことではなく、「人為的なものがない」あるいは「おのずからそのようになる」誤解を恐れずに言えば、人間の力を超えた力を意味するようです。

法爾(ほうに)は、耳なれない言葉ですが、然と同義語で、「法則どおりになる」という意味に捉えて良いと思います。

要するに、阿弥陀如来の他力は、目には見えませんが、アルキメデスの原理のように絶対的な法則として、人間の思惑を超えいつも機能していると言う、親鸞の造語のようです。

その力の前では、私たちの小ざかしい思惑など役にたたないと親鸞は言います。
この法則を忘れ、法則に抵抗し、ジタバタするから溺れ苦しむのだとしたら・・・
法則に従って生きれば、人生は溺れることもなく、悩むこともなく、苦しむこともなく、確かな方向へと進むことが出来るということのようです。

母親の自然の摂理に従がった死に立ち会い改めて思いました。こうして人間の力を超えた力や自然の法則に従っていれば、魂は苦しむことなく、確かな方向へと進むことが出来るのだと。

もし臨終が1日延びていたら、私たちが看取ることはかないませんでした。一家揃って、しかも母の望んでいた在宅で天寿を全うする姿に立ち会うことが出来たのは、やはり御仏の慈悲だったのかもしれません
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2017年01月14日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊲〜


医師が帰った後、看護師さんと妹の手で“エンゼルケア”と呼ばれる死後処置が施されました。

現代医学は“人の死”を「呼吸停止」「心臓停止」「瞳孔散大」の三兆候で定義します。

私たちは、生きている間中ずっと呼吸を続けています。
インド哲学には、私たちの根本的な個体原理を意味するアートマンという概念があります。アートマンとは元来“気息”を意味するものでした。それは生気や生命を意味するプラーナであり、哲学的には“霊魂”を意味する術語です。ヨーガなどでは人間の身体を“小宇宙”と捉えますが、それは“宇宙”の根本原理とされるブラフマンと“対”になるものです。

つまり呼吸とは、単なる酸素と二酸化炭素のガス交換ではないのかもしれません。呼吸を止めるということ“は宇宙と小宇宙とのエネルギーの交換”をやめ、肉体を残し魂だけが宇宙に還るという意味を持つのではないでしょうか。

心臓には左右2つずつ4つの部屋があり、右の部屋には静脈血、左の部屋には動脈血を湛えています。心臓の運動が全身の静脈血を右側に引き込む一方で、肺から左の部屋に来た動脈血を心臓が全身に送り出します。呼吸により体の外の酸素とエネルギーを充満させた動脈血が、身体の内側を隅々まで旅して再び心臓に帰ってくるのです。

つまり心臓は、自分の外と内のポジションを示す臓器でもあります。心臓が停止するということは、この世での自分の役割を果たし、現世でのポジションが必要なくなったことを意味するのかもしれません。

瞳孔散大は、医学的には脳幹の機能がストップしていることを意味します。しかし虹彩には、瞳孔を開く筋肉と閉じる筋肉があります。脳幹の機能が止まると両方の筋肉が弛緩するはずですが、なぜ開く方の筋肉だけが働くのでしょう?

臨死体験者の多くが「光の生命」、「崇高な光」との出会いを報告しています。
つまり臨死体験には、きわめて印象的な“光との出会い”が核になっていることが伺い知れます。光の正体は何か?生きている私たちに知るすべはありませんが・・・もしかすると、最期にこうした光と出会うために瞳孔が開くのかもしれない

・・そんなことを考えながら、母への最後のケアが終わるのを待ちました。
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2017年01月04日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㊱〜

2016年1月3日
「午後5時46分 死亡を確認させていただきました」

正座した松本医師から、正式に母の死が告げられました。

享年八十三歳。

「お母さま良く頑張られたと思います。皆さんもよく尽くされていたと思います。これから病院に帰りスタッフと悲しみを共有したいと思います。何かあればお電話をいただければ力になります」

膣癌による多臓器不全でしたが、末期癌であるにも関わらず穏やかに天寿を全うした母を医師が称賛してくれました。

自宅で家族に見守られ、「私ほど幸せな人はいない」と言い残し、自然の摂理に従った穏やかな最期を迎えた母。その生涯を利他の精神で生きた母を私たちは誇りに思います。

昨日が1周忌でしたが、皆様のご厚情に厚く感謝申し上げます。

尚、新年のご挨拶は失礼させていただきます
posted by かず at 08:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする