2016年12月26日

年末年始の診療日程


12月31日(土曜日)〜1月3日(火曜日)
まで 休 診 させていただきます。

尚、1月4日(水曜日)より平常通り診療致します。
皆様、良いお年をお迎えください。



posted by かず at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月21日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉟〜


呼吸が停止していること、まばたきをしていないことを見届け、母の瞼を下げました。

人間は、誕生の時「おぎゃー」と“息を吐き”、最期は “息を吸い”この世を去ると聞いたことがあります。母の臨終を見届け”息を引き取る“という言葉が腑に落ちました。

点滴をしていなかったので、傷一つないきれいな肌にはむくみもありません。その顔はかつて見たことがないほど尊厳に満ち崇高さを湛えていました。

「お母さん、よく頑張ったね」
「楽になったねぇ」
「立派だったよ」
「長い間、本当にご苦労様でした」
「美智子ありがとう お前はよく働いてくれたなぁ」
「おばちゃん、ありがとう ありがとう」

目を閉じ呼吸を止めた母に話しかけていると自然に涙が流れました。
しかしそれは悲しみや喪失感の涙ではなく、母の人生に敬意をはらい、労わりと感謝の気持ちが具現化された涙でした。

呼吸が止まっても、人の耳は聞こえていると聞いたことがあります。
知人はマラソン大会で倒れた時、心停止・呼吸停止を来たしたことがあるそうです。体を動かすことは出来なかったそうですが「もうだめだわ」「臨終です」と医師やスタッフが会話しているのがはっきり聞こえたそうです。「蘇生してから事実確認をしたので間違いない」彼はそう話してくれました。

こうした臨死体験者の証言に照らし合わせると、たとえ生命反応はなくとも、母にも家族の言葉は聞こえていたかもしれません。しかしそれはおそらく肉体を離れたところだと思います。

しばし母と別れを惜しんだ後、名寄市風連国民健康保険診療所に電話をしました。すぐに医師と看護師さんが駆けつけてくれました。
posted by かず at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月10日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉞〜


母の呼吸が次第に弱っていくのを家族で見守りました。

「何も心配いらない」
「安心して逝っていいんだよ」

「頑張れ」
「死ぬな」とは誰も言いません。

逝こうとする母を囲み、それぞれが優しく声をかけ、母の体に体温が伝わるよう寄り添います。
最期に穏やかで温かい場所を提供すること、それが見守る側ができる最後の仕事だと、皆が感じていました。

母の魂の指示にしたがい、プラーナも送りませんでした。

目は開いていますが、呼吸が静かに弱まっていきます。
小さな息をすっ・・と吸い、呼吸が止まるのを見届けました。
posted by かず at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月03日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉝〜


「おかあさん着いたよ」
旭川から弟家族が到着しました。

大晦日から名寄に滞在し昨日旭川に帰ったばかりでしたが、危篤の報を受け、取るものも取り敢えずすぐさま駆けつけたのです。

もう声を出すことのできない母に、さかんに話しかけてくれます。
賑やかな会話に耳を傾けながら台所でお茶を入れていると、義妹が私を呼びにきました。

「おかさん、何か言いたいみたい」
義妹の呼びかけに、母が目を開け、口をパクパクさせているというのです。

母の枕元に戻りよく見ると、それは会話の意思表示ではなく下顎呼吸でした。

死の直前の呼吸は、下顎を使うことから「下顎呼吸」と呼ばれます。血圧が低下し、胸郭を使った呼吸が出来なくなるため、顎を使った呼吸に変わり、呼吸数が減少するのです。
それが数分から数十分続いた後に呼吸停止することが多いと、ターミナルケア専門のナースに聞いたことがあります。

「下顎呼吸だ。まずいな・・すぐ妹と親父を呼べ」
弟が、父と妹を呼びに大急ぎで家を出ました。

夜間の付き添いに供え、洗った髪を乾かしていたのでしょう、手にドライヤーを持ったままの妹と、除雪の雪煙で全身雪だらけの父が、母の枕元に駆けつけました。
posted by かず at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする