2016年09月22日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉘〜


「お母さんしばらく何も食べてないけど、何か食べさせなくて大丈夫なのか?」
安らかな寝息を立てはじめた母を見て父が心配しています。

「おかあさんは、生命エネルギーがもう残り少ない状態なんだ。無理に食べ物を取らせると、それを処理するためにエネルギーを使ってしまうから、余計に体がしんどくなる。だから栄養はもう取らせない方が安らかに逝けるはず。点滴もしないで、このまま自然に任せたほうがいいと思う」

生物の起源は、およそ35億年前に海の中に誕生したアメーバのような単細胞生物でした。単細胞生物の頃は、ひとつの細胞で消化、吸収、排泄していました。それが多細胞生物に進化すると各々の細胞に栄養を送らなくてはいけなくなります。そのため最初に出来た器官が消化器系。つまり単細胞生物から背骨が出来、魚らしきものになるまでの30億年、人間の祖先は、生命を維持する「食べる」「排泄する」といった、腸の機能がほとんどだったと考えられます。

人間の手足も、多様な内臓や高度な脳も、元をただせば腸から進化したもの。腸から進化した人間にとって、根源的な身体の源ともいえる腸が食物を拒否しているのです。その意思に従い、無理な栄養はやめ、穏やかな最後を迎えさせてあげるのが自然の摂理だと思いました。

統合医療を日本に普及させた、東大医学部名誉教授 渥美和彦博士は「最後は、食べ物を断ち、木が枯れるように逝くのが理想。私はそんな最後を迎えたい」と話してくれたことがあります。

事実、知人の看護師さんの施設では、そうしたターミナルケアを行い、穏やかで苦痛のない最後を迎えさせることに成功しているそうです。

古代より宇宙を内蔵し宇宙のリズムと共振していたであろう腸が、「そろそろ還ろう」という魂の呼びかけに応じ、母の現世での肉体のスイッチを切ろうとしていました。

posted by かず at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月10日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉗〜


1月3日朝、母はうっすら目を開けて私を迎えてくれましたが、会話はほぼ出来ません。
何か言いたいようですが声が出せません。

「手を握って」
元旦には、手を差し出すと弱々しく握り返してくれましたが、今日は握り返す力がありません。

「チャクラスプレッド」で母のプラーナに介入すると、安らかな寝息を立て始めました。

ただ心配しながら見ているだけでなく、臨終間際でもあっても、こうして手をかけてあげることが出来るのは本当に幸せな仕事だとつくづく思います。

こうした実践を積み重ねることにより、私は母の死後も、少なくともグリーフワークの@〜Hの段階、パニックや抑鬱を踏むことはありませんでした。

ターミナルケアにおけるプラーナ療法は患者さんだけでなく、術者である私の悲嘆や混乱、大切な人を失うという喪失感すら乗り越えることの出来る魂のスキルだと改めて感じました。
posted by かず at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月03日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告㉖〜


血圧計での測定不可
経口摂取不可

1月3日朝、妹がLINEで送ってくれた母のバイタルを見て、最期の時が目前であることが理解出来ました。

取るものも取り敢えず車に乗り込みました。
コーヒーを買うため立ち寄ったコンビニに置いてあるバナナを見て、子供時代の記憶がよみがえりました。

当時は贅沢品だったバナナを食べる私たちの傍には、3人の子供を見ながら微笑んでいる母がいました。それが体に鞭打ち働いた母の収入から、自分が自由に出来るわずかなお金の使い道だったのです。

我が家ではご馳走の鉄板焼きが食卓に上る時、いつも焼き方に徹している母がいました。
「お母さんは食べないの?」と聞くと「あまりお腹がすいてないの。いいから食べなさい」
自分は食べなくても、子供や他人に食べさせるが母の常でした。

夕食の後志始末を終え、ようやく腰を下ろした母に聞いたことがあります。
「お母さんの夢はなに?」

「そうだね・・ゆ〜〜っくり寝たいだけ寝てみたい(笑)」
朝早くから夜遅くまで働きずめに働き続けた母の望みが、まもなくかなえられようとしています。
posted by かず at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする