2016年01月30日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告B〜


8月に入り臥床の時間が増えはじめ、家事などの日常生活が困難になってきました。
体内で癌の慢性炎症が起き、身体がとても衰弱し、ちょっとしたことで疲れやすくなる、全身症状のきわめて悪化した状態・・いわゆる悪液質と思われます。

9月に入り、長時間の座っていることが困難になり、便が膣から出来るようになりました。どうやら拡大した癌細胞が直腸と膀胱をつないだと思われます。この状態を在宅で管理するには、膀胱洗浄やドレーン管理のような専門性が必要になります。

看護師の妹が仕事を辞め、24時間体制で母を介護することになりました。
妹の退職の日にあわせ有休をとり送迎してくれた義弟が、病院のスタッフに労いの言葉をかけられ、餞別やお花、心のこもった手紙をいただき、同僚たちが泣きながら見送ってくれたと教えてくれました。妹がプロの看護師として人間として、素晴らしいキャリアと徳を積んでいたことがうかがい知れます。

私と弟は、交互に旭川と名寄を往復しプラーナ療法を続けました。
母が訴える腹痛や咳は、癌細胞が組織を損傷させ、内臓の癒着や筋膜の線維化、血管の痙攣などを起こしているためだと思われます。治療はこうした結合組織の瘢痕化が生じている個所を見極め、プラーナで結合組織にアプローチします。結合組織の硬化が改善されると、身体機能がよみがえります。お腹の痛みが消え、咳が止まり、悪液質にも関わらず尿量が増え、3食を美味しく食べ、間食まで望む状態が続きました。

しかし入院中の義父が危篤状態に陥ったため旭川を離れられず、しばらく治療を休むまざるを得なくなりました。

私に電話をすることなどめったにない母から突然電話がありました。
「兄ちゃん・・私大丈夫だから旭川のおとうさんのことよろしくね」
私を安心させるため、妹を介しベッドの上から電話したようですが、最後は涙声になっていました。

大丈夫ではないことは子供でも分かります。
利他に生きた母らしい電話でしたが、これが母が私にくれた最後の電話になりました。
posted by かず at 08:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告A〜


母の支えになりたいという思いは、私だけでなく弟と妹にも共通するものです。

医師から“子宮頸癌ステージW”の告知を受け母は「病院には入りたくない。辛い検査や治療はもう嫌。家にいたい」と付き添っていた妹に告げたそうです。

私たちの学費を工面するために、歯を食いしばりながら闘病と仕事を両立し、齢83まで生きてくれた母の、決意にも似た強い望みを尊重し、体に苦痛を伴う手術や抗がん剤治療は行わず、また医療による延命も望まず、自然の摂理に従い在宅で穏やかに余命を全うさせてあげよう。そして何よりも母が、生まれてきてよかった、良い人生だったと思えるようにしようと兄妹の意向を統一しました。

5月に入り、癌が小骨盤腔を越え広がり膀胱を浸潤してきたようです。膣と膀胱がつながり、括約筋のない膣から尿が漏れるようになりましたが、カテーテルで様子を見ることにしました。骨盤内膜が癒着を起こし、心膜や胸膜を引っ張り締め付けるためでしょう、体のだるさはもとより、頻脈、咳、腫脹、疼痛、食欲低下など様々な症状を訴え、QOL(生活の質)の著しい低下が起きたため、施術を開始しました。

通常私たちの治療は、手技により物理的な力で骨盤のゆがみを矯正するのですが、母に関しては、術者からの加圧は必要最小限にとどめ、プラーナで静かに矯正を試みました。矯正の効果は筋膜の動きが滑らかになることでわかります。何よりも骨盤内膜の緊張が改善されると、身体全体の機能が回復し苦痛が消え食欲も旺盛になるのです。

入院していれば点滴で栄養を補給する状態と思われますが「お腹が空いた」と訴えるようになり、食事を楽しみにするようになりました。一時はあきらめかけていた外出ができるまでに回復し、プラーナ療法の新たな可能性に感嘆した症例となりました。

しかし治療の目的は当初から、多くの代替医療が目的とする“自然治癒力を活性化させ癌を自然治癒に導く”ことではありませんでした。プラーナを通じ魂レベルに働きかけ、自然に穏やかに天寿を全うさせてあげることでした。
posted by かず at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月16日

母の死とプラーナ〜末期癌の症例報告@〜


通常私たちの仕事は、生死に関わる病気を治療することはありません。むしろ生命の危険を伴う症例を素早く見極め、適切な医療機関に紹介するよう教育を受けています。ましてや臨床家として人の臨終に立ち会うことは極めて稀です。

しかし母親の初七日が過ぎ、肉親でなければ手がけることはなかったであろう、末期癌の患者さんに関わった8か月を症例として書き残し、後進に役立ててもらおうと思い立ちました。

母は今年4月に末期の子宮頸癌と診断されました。しかし子宮癌を発症したのは40年前だったので40年を経た再発ということになります。

病院勤めの合間をぬい親類の水田を手伝っていた時に出血で倒れ、医師に手遅れと告げられたそうですが、母には「3人の子供たちのためにまだ死ぬことはできない」という強い思いがあったそうです。

手術と放射線、抗がん剤を併用し一命をとりとめましたが、治療の副作用で免疫力が低下し、蜂窩織炎やダグラス窩膿瘍、肺腫瘍や日和見感染症で入退院を幾度となく繰り返すようになりました。発病前は元気を絵に描いたような母でしたが、退院してからは頻発する腹痛や発熱・・・苦痛に伴い体力、気力が低下し病弱を絵に描いたような人生を歩むことになります。しかし持ち前の我慢強さで体に鞭打ち家族のために働き続けました。

姪の結婚式会場で咳が止まらず苦悶する母を見かねた治療師のY先生が「かわいそうに・・ちょっとこっちへ来てごらん」ひょいひょいと母の首を操作するとピタリと咳が止まりました。私がサラリーマンを辞め長生医学を学ぼうと思い立ったのはこの時でした。
posted by かず at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 大村長生館の治療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月07日

本年の診療をはじめました

1月4日〜6日まで葬儀のため臨時休診させていただきましたが、
本日1月7日より診療を開始しました。

故人は実の母です。
昨年4月に”子宮頸癌ステージW”と診断されましたが、自らの意思で入院せずに在宅療養を選択していました。

ナースの妹の看護とプラーナ療法で、末期癌にも関わらず、食欲旺盛で痛みのない穏やかな正月を迎えることが出来ましたが、1月3日夕刻から血圧が低下し、家族に看取られ穏やかに呼吸を止めました。  
母は誰にも分け隔てなく接する人でしたが、棺の前で、涙ながらに思い出話を語る親戚や友人たちの姿に改めて母の徳を知りました。

仕事始めからご迷惑をおかけしましたが、本日より平常通り診療を開始いたしました。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。



posted by かず at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | かく語れり(仏教概論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする